こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと。



vol.9 のっぺりとした日々

2009.6.22

二週間前に公演が終わった。ぼやぼやしているうちに前回の更新から一月もあいてしまった。公演中の感じは、なんとなく運動会の感じに似ている、と僕は思っている。朝早く、テントが張られ、白線が引かれた真新しいグラウンドに行く。その新鮮な感じに、もちろん日を重ねるごとに慣れていくのだけれど、なんだか似ているなあと思うのだ。で、終わった後の感じは何に似てるのかというと、これはちょっとうまい例えが浮かばない。運動会のあと、祭のあと、似てそうなものはいくつかあるけれど、ぴったりくるものがなかなかない。ちょっとした空虚と、ちょっとした疲労と、ちょっとした安堵と、あとはなんだろう、次への希望とか現実とのずれとかそういういろんなものが混じった感じ。それら複雑なものが塊になって、でもなんだかのっぺりしているという不思議な感覚なのだ。

まあそういうわけで公演が終わった後ののっぺりした時間をどんなふうに過ごしていたかというと、まあもちろん淡々と現実生活を営みもしていたわけだけど、なんだか本をまとめて読んでいた。二週間で五冊。平均して三日で一冊読んでたわけで、最近の僕にしてはかなりのハイペースだ。今回はそれらの本について書いてみようと思う。

前回、青山ブックセンターでチャンドラーの『プレイバック』を買ったという話を書いた。で、僕はこれを読むのでしょうかというふうに結んだ。そういう場合、往々にして僕はその本を読まないことが多いのだけれど、珍しく読んだ。それだけでなく、チャンドラーにはまってしまったのだ。『プレイバック』を読み終えたとき、何か不思議な感じが僕の中に残った。なんだろうと思い、図書館で『長いお別れ』を借りてきた。もう記憶の彼方に行ってしまったが、多分僕は一度この作品を読んだことがある。でもなんにも覚えてなかった。

冒頭のマーロウとテリー・レノックスとの出会いから、一気に物語に引きずり込まれた。ストーリーももちろん面白いけれど、なにより文章がいい。すべてに感想が、つまり批評が含まれた描写。その密度の濃さ。ぐいぐい引き込まれていく。この感覚をなかなかうまく言葉にできない。見ている、そして考えている、ということをシンプルに描くということ。それは、クールである、とかかっこいいとかいうことを超えた、とてもユニークな語り方だと思う。次に読んだ『高い窓』も面白かった。

チャンドラーの合間にだいぶ前に買って未読だった桐野夏生『I'm sorry,mama』を読んだ。桐野夏生を読むのは初めてで、この作品はタイトルがとてもかっこいいので買っておいたのだ。物語自体は、すぐに主人公の殺人者の側から描かれてしまったのでそれほど興味深くはなかったけど、邪悪な、あるいは醜い人間を描くときのテンションの高さが尋常じゃない。読んでいる間、この世は主人公の殺人者のような人間しかいないのではないかとさえ思わされるパワー。その力に圧倒された。

もう一冊は小野正嗣『にぎやかな湾に背負われた船』。これも語り方が面白かった。解説にも書いてあったけど、中上健次とか、海外の作家の作品を思わせた。面白かったんだけど、じゃあその語り方がどこに連れて行ってくれるのか、という思いもある。これはデビュー作で、最近同じ作者の『マイクロバス』という小説が話題になっていて、僕はそれを半分だけ読んでやめてしまったのだけど、多分この先がそこにあるのだろうな、と思う。それがもっと見たことのないところに僕らを連れて行ってくれるといいなと思う。

いつもは公演が終わった後もなんだかぼんやりしてしまって本を読む気分になかなかならないんだけど、なぜだか今回は千秋楽の次の日からくいくい読み進んでいった。その理由はよくわからない。でもチャンドラーとの出会いが、二度目だけど、きっといい出会いだったのだろう。いつまでもこうやって新たな出会いが絶えないというのは幸せなことだ。最初の方に書いた次への希望というのは、こういう出会いのことも含んでいるような気がする。のっぺりとした日々が、少しずつ襞を作り、いろいろな色に変わっていくのだ。

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