こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと。



vol.7 最近読んだマンガについて

2009.5.3

今稽古の真っ最中で、その他の諸々の打ち合わせや作業なんかで忙しくなりつつある。そんな毎日でも息抜きは必要で、ずっと根を詰めていると息苦しくなってしまうから気晴らしはしなけらばならない。で、何をするかなんだけど、僕の場合稽古が始まってしまうと文字で書かれた本があまり読めなくなってしまう。特に小説は全然頭に入ってこない。よくわからないけれど、食べ物で言う食い合わせのようなものがあって、稽古と小説というのが相性の悪い組み合わせなのだろう。それでもやっぱり読むという作業がしたいのだ。というわけで、このごろマンガが読みたくなっている。なのでここ何日かで読んだマンガのことを書こうと思う。

吉田秋生『蝉時雨のやむ頃』は、文化庁メディア芸術祭に確かマンガ部門で出展されていて知ったのがだいぶ前で、なんとなく気になっているうちに同じシリーズの最新刊が出てしまったのでよし読むかと買ってみた。この人の作品は名前だけ知ってるけど読むのは初めてだった。いわゆる少女マンガっぽい絵だなあと思ったのだけど、小さい頃から妹の「りぼん」なんかを読んで育ったのであまり違和感はない。僕が好きだったのは、表題作だった。僕は学生のときに卒論で児童文学を扱った。そのときに読んだいくつかの作品に、子供に頼ってしまう大人、というのがでてきた。子供に頼る、というのは、大人が大人になりきれないでいることを子供に認めさせてしまう、ということだ。僕は子供に読ませる児童文学にそういうキャラクターを描くということに疑問を持った。別に大人になりきれないのは本人の問題だからどうでもいいけど、それを子供に認めさせようとするのは完全に大人のエゴだろうと思ったし、それを子供に読ませるというのが果たしていいことなのだろうかと思ったのだ。この作品に出てくるのはそういうふうに、大人になりきれない大人を認めさせられようとしている子供だった。そんな子供がどうするかというと、作品の中でも描かれてるけど、自分がしっかりしなければと、子供であることをやめてしまうのだ。途中まで、僕はその子は誰からも助けを得られずに、早すぎる大人への道を進んでいくのだろうと思っていたから、最後に腹違いの三姉妹に手を差し伸べられて本当によかったと思った。それにしても、ちゃんと大人になるというのは本当に難しい。それが望んだことではないとは言え、この作品の長女のように、大人がするべきことをきちんと把握している人は、自分を含めてなかなかいないんじゃないかと思う。

次に読んだのは、と言っても再読なんだけど、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』だ。これもメディア芸術祭に出てて知った。確か映画にもなってた気がする。『蝉時雨〜』を読んでなんだかこの作品を読み返したくなった。この作品をはじめて読んだときの衝撃は今でも忘れないし、今回読み返したときもそれはほとんど薄れなかった。僕はこういう作品に弱い。こういう作品と言うのは、この世に確実に存在する残酷さを加工したり薄めたりせずにそのまま投げ出すように描いてる作品のことだ。初めて読んだとき、岡崎京子の『リバーズ・エッジ』を思い出した。絵もテーマも全然違う。でも残酷さをそのまま描いてるという点で、とても似てると思ったのだ。そういう作品を読むととても辛く、苦しい。でも、なんというか、とても清々しい気持ちになる。純粋なものに出会うことは、日常生きていてもあまり多くない。芸術作品というのは、純粋なものに出会わせてくれるものだし、そうあってほしいと僕は思っている。

漫画家の西原理恵子がテレビに出てるのを最近よく目にする。僕が見たのはどれも、彼女の亡くなった夫が苦しめられたアルコール中毒やそれにまつわる彼女の人生についての番組だった。最後に彼女は、必ずアルコール中毒が病気であること、早く専門医に見せなければならないことを、静かな口調で、でも非常に熱を込めて語る。キャラクターもテレビに向いてない気がするし、あんなに面白いマンガを描きなおかつ売れっ子なんだからテレビに出る必要なんかない気がするけれど、きっと彼女はそのことを世界中の人に言って回りたいのだ。その思いの深さが、静かな表情と熱心な口調からひしひしと伝わってきて僕はいつも画面から目が離せない。読んだマンガの話じゃないけど、最近強い印象を受けたことの一つだ。
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