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あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと。
vol.62 流してから眠る
2013.7.12
昔から、寝つきが悪いほうだった。眠る前は大抵、今日はうまく眠れるだろうか、と心配しながら布団に入った。眠れない夜とか、あっちこっちに寝返りを打ちながらまんじりともしないとか、そういうのは日常茶飯事というか、慣れっこだった。慣れっこだからって、もちろんそれが心地良いわけはない。眠りたい眠りたいと思えば思うほど、目はどんどん冴えていくし、ならば寝るのを諦めて、という気分にもなかなかならない。せっかくここまで目玉がぼんやりしたのだから、眠りはすぐそこまで来ているのかもしれない、なんて考えると、なかなか電気をつける気にならない。
それがここ二、三年位かな、だいぶましになってきた。大体布団に入ると本を読むのだけど、十分くらいすると、まぶたが重くなってくる。そしたら横になって、もう少し本を読む。ここまでくれば夢の世界までもうすぐだ。明かりもつけたまま、栞を挟むこともせずに手で本を持ったまま誘惑に従順に目を閉じる。こうなってくると、本は睡眠導入剤の役割を担っているのは明らかで、え、自分は本当に本好きなの?という新たな不安に苛まれる。だって文字を追えば自然と眠くなってくるなんて、教科書を開いた中学生みたいじゃないか。まあいいけどね。自然に眠れるというのはとても気持ちいいものだから。
実はもう一つ、眠りに誘われるための儀式というか、イメージがある。これは、意識してやっていることじゃない。本を読みながら横になっていて、流れで目を閉じると、いつしか、自然に頭の中に浮かぶイメージがあった。それを目で追っている、というか流れるままにしていると、もう完璧に眠れてしまうのだ。
そのイメージというのが、野球場で、流し打ちをしている、という映像だ。自分は、打者で、右のバッターボックスに入っている。そして前からやってくるボールを、逆らわずにスイングして、一塁側方向に流し打つ。打球は低いライナーで一二塁間を抜け、ライトへのクリーンヒットになる。
断っておくけれど、これは夢じゃない。まだちゃんと意識はあるのだ。視野は多少狭いけれど、バッターの視線で、茶色い土のグラウンドとか、外野の緑色の芝とかが見える。守っている人たちはややぼんやりしていて、顔やらは見えないけれど、ちゃんとユニフォームを着ていて、僕が打った打球に反応してくれている。
なんで流し打ちなのか。いやまあ野球はやっていたけれど、頭の中のグラウンドはその頃のよりももっと綺麗だし、大体僕は流し打ちなんて得意じゃなかった。もっと不思議なのは、これが毎晩毎晩頭の中で再生され、そうすると必ずすとんと眠りに落ちてしまうということだ。そのことに、つまりそういえば毎晩眠る直前に俺は流し打ちをしてるぞ、と気づいたのが、しばらくたってからで、意味がわからなくて考え込んでしまった。テレビで野球の中継なんかとんと見てないし、球場に足を運んだのも、もう二十年近く前のことだ。
結局なんで眠る直前に必ず流し打ちをするのかはわからない。でも一つだけ言えるのは、そのイメージが、気持ちのいいものだということだ。逆らわずに芯に当たったボールが内野を抜けていくというのは、すこぶる気持ちがいい。その気持ちよさのまま、なんの障害物もなく、ころころと眠りの坂を転がっていく。
実は同じように思い浮かぶイメージがもう一つある。一塁線へ送りバントを決めているというやつ。やっぱり野球。そして一塁側。でもこれは中学生の頃よくやってたからわかる。こつんとバットに当てて、点々と転がるボールを見ているうちに、眠ってる。てことは、自分は走ってない。そういえば昔、打った後になかなか走り出さないで、早く走れ!と監督によく怒鳴られてたな。このイメージの源泉が昔の思い出だとしても、怒鳴られるところまで映し出されないでよかった。一気に目が覚めちゃいそうだもの。
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