こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.60 一番最初の    

2013.5.10

気温が時々二十五度を超すようになり、ゴールデンウィークも終わり、晴れた日は本当に気持ちがいいです。風が強い日は、洗濯物がごつごつ窓を叩いたり、あまりに洋服がひらめくから、物干し竿ごと派手な音をたてて落下したりと、落ち着かない気持ちになる。春とは言え、春の嵐という言葉があるとは言え、なんだか今年は風の強い日がすごく多い気がするのだけれど、人々はどんなふうに思っているんだろう。ともかく、最初の話に戻すと、ぽかぽかと暖かくてよく晴れた日は無条件で機嫌が良く、こんな日はスピッツでも聴きながら、こうして文章なんか書いてると、本当にいい気持ちだ。

最近丸谷才一さんの『エホバの顔を避けて』という小説を読んでいる。まだ百ページ弱くらいかな、序章が終わって一章目を読んでいるところでこんなことを言うのはあまりにせっかちすぎるし、そのことを時々反省したりもするのだけれど、やっぱり思うので言うと、小説を読む、一番最初のわくわく感を感じさせてくれる小説だ。

一番最初、というのはつまり、一番最初に小説を読んだときの、ということだ。僕の場合、それははっきりと覚えていて、小学四年生のとき、教室の学級文庫に置かれていた、アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』を子供向けに書き直されたものだった。子供向けの上にミステリで、『エホバ』はもちろん聖書をモチーフとした非常に知的な(と帯で大岡昇平さんが褒めている)作品だから、ちょっと考えたら、どこに共通点があるのか、と思われるかもしれないけれど、僕にとってはちゃんとあるのだ。それは、本を開くと、そこに、現実とは違う世界が広がっているのだという感覚だ。考えてみれば、僕は今までずっと、その感覚を忘れられないで、それから江戸川乱歩やドリトル先生を読み、ハヤカワのクリスティの全集を読み、いつの間にかいろいろな小説を読み続けてきたような気がする。小説は、いろいろなことを語ってくれるけれど、人と人が愛し合うことや、憎みあうことや、その機微や、スリルや発見や、そういうものを上手に僕らの目の前に並べてくれるけれど、単純に、ひらりとこの世にはない世界に連れて行ってくれる小説は、実はそんなに多くはないと、僕は思う。

例えば、僕にとって大江健三郎さんや古井由吉さんの小説を読むことは、そういう体験をするということを意味するのだけれど、面白いのは、大江さんや古井さんの小説を読み始めたときに強く感じるのは、「ああ、今大江健三郎の(あるいは古井由吉の)世界が始まったのだ」ということなのだけれど、『エホバ』を読み始めて感じたのは「ああ、今世界が始まったのだ」ということだったこと。もっとシンプルなのだ。だから僕は、なんの道しるべもなく、次は一体どんなことが起こるのだろうとわくわくしながら、洞窟を探検してるみたいに先へと進むことができる。まるで、それが自分にとって何を意味するのかもわからないまま、教室の隅にあった読み古された本の表紙を、自分の席に座って指で開いたときみたいに。

最後にこの文章を書いて気づいたこと。何かを始めるのには、(僕の場合は再開するのには、だけど)気持ちのいいときに、自分が好きな事柄から、というのがやっぱりベストなんじゃないか、ということ。

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