こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.56 今年の3月11日に起きたこと    

2012.3.23

去年の3月11日から一年が過ぎた、ということを、本当は今年の3月11日か、翌日とか、とにかくもっと早くに書いたほうがよかったのかもしれない。例えば今年は閏年で、2月29日という四年に一度しかない日に何か特別なことを書こうかとも思ったけれど、結局何もしなかった。そういうことには、どうも向いていないみたいだ。もちろん、それだけが理由じゃない。今年の3月11日には一日中予定が入っていて、落ち着いて文章を書く時間は多分ないだろうから、事前に書いてアップだけするか、次の日にでも書こうかと思った。向いていないだけあって、正直なところ、ちょうど一年経ったからといって何を書けばいいのかよくわからなかったけれど、何かを書きたいという気持ちはあったし、考えていたこともいくつかあった。だからそれをたどたどしくなりながらも、とにかく書いてみようかと考えていた。

当日僕のまわりには一日ラジオが流れていた。去年の今頃、絶望的な映像や深刻な声で語られる知らせで埋め尽くされていたときに、ラジオから流れてきた音楽を聴いて、涙が出そうになったことを思い出した。思い出した、という言葉はあまり正確じゃなくて、そのときの感触が、体の中に蘇ってきた。蘇ってきたのはそれだけじゃなかった。去年のあの日、僕は青山通り沿いの本屋にいた。宮沢賢治の文庫本を立ち読みしていたら、視界が揺れた。最初はたちくらみかと思った。気づいたらまわりにいた他の客も不思議そうにあたりを見まわしていた。揺れが一段と強くなったとき、控え室みたいな部屋のドアが乱暴に開けられて、中から店員さんが飛び出してきた。一目散に出入り口に駆け寄るその人を見ながら、初めて心に恐怖が湧いた。揺れは収まらない。どんどん強くなっているような気がする。僕は本を戻して出入り口に向かった。途中で少し早足になった。他の人たちも同じように出入り口に駆け寄った。建物の中にいた方が安全です、外に出て割れたガラスが降ってきたらそっちの方が危ないから、と大きな声で話す店員さんに出入り口のところで制されていたとき、宮城の方で大きな地震が起きたみたいだ、と誰かが言うのが聞こえた。

帰ろうと思ったときにはもう電車は止まっていて、地下には人々が溢れていた。三十分くらい待って地下鉄を諦めて地上に出て、バスに乗ったけれど全然進まなかった。窓の外を大勢の人が歩いていた。車の隙間を自転車が追い越していった。自転車屋さんには長い列ができていた。
夜遅くになってやっと最寄駅から三つ離れた駅に着いた。そこから先は動いてなかった。バスもタクシーも無理だろうから、歩いて帰ることにした。とにかく気が急いていて早足で歩いた。同じ道をスーツを着た人たちが歩いていた。そういう人の姿はどんどん増えていった。川を渡るとき、橋を埋め尽くすように人が歩いていた。みんな疲れた顔で、暗い中を黙々と歩いていた。
帰るとガスが止まっていた。テレビをつけて、初めて何が起きているのかを知った。僕がそのときに見たのは、多分他のたくさんの人が見たものと同じだったと思う。

一週間位して、僕は短い戯曲と文章を書いた。きっと忘れないだろう、と僕は書いた。この一年の間、時々そのことを後悔することがあった。なんでそんなことが言えるんだろう。いろいろなことを忘れてきた自分が、なぜ忘れないなんて言えるんだろう。

でも、今年の3月11日、ラジオから流れてくる音楽を聴いたとき、あの日のすべてのことが体の中に溢れるみたいに広がるのがわかった。こんな気持ちになるなんて思わなかった。その日が来たとき、自分がどんな気持ちになるのか、僕はわかってなかった。

その日、その時間になったら、目を閉じることはしようと思っていた。でもできなかった。やらなくてはならない作業を次々とこなしているうちに、気がついたら随分前にその時間は過ぎてしまっていた。そのあとも目を閉じる暇なんてなかった。だから次の日の同じ時間に、僕は目を閉じた。

日常というのはそういうものだ、と思った。個人の本当にちょっとした思いなんて簡単に飲み込んでしまう。それが日常の力だ。そしてあの日、その日常を別のものが飲み込んだ。簡単に。あっという間に。

これが今年の3月11日に起きたことだ。3月11日に、その日に起きたことだ。
目次へ
あさかめHP

***** Copyright c 2009 Yohei Kodama. All rights reserved. *****