こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.55 そのときが来れば     

2012.2.3

最近、急速に圧力鍋が使えるようになった。だからしょっちゅう豚の角煮を作っている。ここ一月くらいで三回は作っているから、結構な頻度だ。最初、うちの戸棚の奥でほとんど冬眠しているような圧力鍋の存在を思い出し、よし、角煮を作ろう、と思い立ったときは、この熊みたいなやつの使い方なんて一つも知らなかった。とにかく火にかけてことこと煮りゃいいんでしょ、だって鍋なんだから、などと軽く見ていた。蔑視というほどではないが、まあはっきりいってなめていた。けれど説明書をざっと読んだ僕は震え上がった。なんなんだこの物々しさは。使う手順が随分いろいろな段階に分かれている。第一、まず使う前に、という項目が既に長い。空気穴がちゃんと空いているか確認しろだの、パッキンがちゃんと作用するか確認しろだの、確認事項があれこれある。そのうえきわめつきは、そういうことを一切怠った場合の記述だ。「爆発する恐れがあります。」爆発?ちょっと待って、これ確か調理器具だよね。爆発するんですか?最悪の場合爆発するんですか?そんなもの使っていいんですか?大根だの豚肉だの入れて火にかけていいんですか?この時点で僕は、もうやめよう、とちょっと思った。だって大怪我する危険を起こしてまで角煮なんて食べたくない。いいよ別に。大根だってふろふき大根にでもすればいいんだから。
でも結局僕は立ち上がった。こたつから。そして圧力鍋に向き合ったわけである。

そんなわけで第一回目はもうずっとドキドキしていた。もちろん爆発するんじゃないかとドキドキしてたわけだ。「圧力がかかり始めましたよと合図する赤い突起物」(正式になんて名前か知らない)が浮き上がる音でびくっとし、「蓋の真ん中の蒸気を逃がす穴に乗った黒いゆらゆらするやつ」が音をたてて揺れ始めると、震える手でコンロの火を弱火にし、火を消した後、いつ蓋を開けていいかわからず好きな人の家の前で優柔不断にうろうろする男子中学生みたいに鍋の前を行ったり来たりする。雑誌かなんかで、「圧力鍋でことこと煮込む時間が好き。だってその間にゆったり本を読んだりできるから」なんていうおしゃれな文章を読んだ記憶があるのだけど、それフィクションじゃないですか?ともあれ僕にはそんな余裕はまったくなかった。そんなこんなでどうにかできた角煮は、なんとも良い味。他の作り方を知らないので比較はできないけれど、とにかく今まで自分の作るもので味わったことのないものを口にして感激した。普通の鍋でも作れるのだろうし、そのほうがもっとおいしいという人もきっといるのだろうけれど、ビギナーの僕としては十分すぎるほど十分である。

様々な恐怖を振り切って結局圧力鍋を使おうと思い立ったのは、これが使えればこのあともっといろいろな料理を作ることができるようになるんじゃないだろうかと思ったからだった。今のところ僕は豚肉と大根を煮ることにしか使っていないのだけど、どうやらこいつは豆なども煮ることができるらしい。もしかしたらいつか、台所で文庫本でもめくりながら、豆を煮込む僕の姿があるかもしれない。豆はそんなに好きじゃないけど。角煮をするようになって知ったのは、豚のかたまり肉って結構安いんだな、ということだ。これまでスーパーに行っても、使う可能性がゼロだったのでまったく目に入らなかったから知らなかった。そうやって知らないことを知るというのは、視界が開ける気持ちよさがある。知らないことってたくさんあるし、しかもそれは、本当にすぐそばにあるのだ。

それにしても、好きなこととかできることとかっていうのは、場合によると後にならないとわからないものなんだなあと、最近しみじみと思う。水泳も料理も、もっと若い頃の僕には、人生から消えてしまってもなんらさしつかえのないものだった。それが今は、泳ぐのは本当に楽しいし、新しい器具に挑んで喜びを見出すほど、料理をするようになった。多分逆もあるだろう。昔好んでやっていたことが今はちっともつまらなくなってしまっていたり、料理や水泳も、もっと未来にはまったくやらなくなってしまっているかもしれない。もしかしたら、老人になった自分のまわりには、本なんて一冊もなくなっているかもしれない。そんなことを考えるととても不思議な気持ちになってくる。
それは別にネガティブなことではない気がする。きっとその場その場で、何か面白いものをつかまえてはそれに耽溺する。昔の好きだったものも、また自分の前に戻ってきたりする。軽々しいなあという気がしないでもないけど、でもきっとしばらくの間はそれで遊んで、自分の知らなかったことを知るのだ。

これが好き、と決め付けがちな性格だから、そのときが来れば、素直にその戒めを解くことができればいいなあ、と今はなんとなくそう思っている。
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