こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.54 見たくない     

2012.1.13

ネットで坂本龍一の昔の対談をぼんやり読んでたら、「外にジャージを着て出てくる人が嫌いだ」というようなことを言っていた。僕が理解した範囲で理由を説明すると、「こちらが見たくもないその人の日常を見せられるのが不愉快だ」ということだそうだ。へえ、そういう考え方の人もいるんだなあ、と思った。僕自身についていえば、ジャージで出てくる人がいても全然気にならないし、夜になれば、僕自身寝巻きに来ているジャージ姿でスーパーに買い物に行ったりもする。だぶだぶの灰色のスウェットの上下をして濃いメイクをしている若い女の子を見かけても、どうしてそれを選んで着るんだろうと不思議に思っても、嫌だとは思わない。まあ着るものなんてそれぞれが好きなものを着ていればいいからね。

ただちょっと考えて、坂本さんの言っていることもわからないでもないな、と思い浮かべたことが一つあった。それは、プールでのことだ。

僕が通っているプールは、男子更衣室に入って右を向くと入り口の先の壁際に洗面台が並んでいる。濡れた水着をゆすいだり、まあ必要な人は髪型を整えたりするための場所だ。ある日、僕がいつものように更衣室に入って中を覗くと、その洗面台のところに一人のおじさんが立っていた。そのおじさんがどういう状態だったかということを詳細に説明する必要がある。おじさんは素っ裸だった。おそらくプールから上がった後で、体を拭いて服を着る途中だったのだと思う。年の頃は六十過ぎくらいかな、頭は白髪交じりで、あらわになった肉体は年相応の肉がついてる感じ。まあそこまでならそんなに違和感はない。なにしろそこはプールの更衣室なのだから、誰が裸になっていようと構いはしないのだ。問題はおじさんの体勢にあった。おじさんは入り口に背中を向けていた。そして右足を七八十センチくらいの高さの洗面台にかけて手に持ったバスタオルで頭かなんかをごしごし拭いていたのだ。つまりね、想像してみて欲しいのだけど、入り口をはいるとすぐ僕の目に飛び込んできたのは、おじさんの若干たるんだお尻と、足を上げているために広がったお尻の割れ目の奥の暗がりと、そしてその間で揺れるまあ男性のあの局部というか急所というか、つまりあれなわけです。

例えば温泉なんかに行ったとき、僕はあんまり股間を隠すことに頓着しない。もっと若い頃はズボン脱ぐと同時に素早く隠すくらい意識していた気もするけど、年をとるにつれてそういう気持ちはどんどん薄くなった。誰にでもついているものだし、そこは人が裸になる場所なんだからまあいいじゃないかと思ったわけだ。特に大学で宿舎に入ったとき、毎日銭湯みたいな共用浴場に入っていたときに、その気持ちは随分促進されたように思う。だから人が脱衣場でどれだけ気ままにそれをぶらんぶらんさせていようとまったく気にならない。たまの休みの日くらい、思うままにしたらいいじゃないですか、と励ましたくなるくらいだ。

でもこの日、それにも限度があるんだな、ということを僕はまざまざと思い知った。なんで体を拭くのに右足を洗面台に乗せなきゃなんないのだ。もしかしたらおじさんはそうやって濡れた股間を乾かしていたのかもしれない。気持ちはわかる。ちゃんと乾かさないとじめじめして気持ち悪いからね。でももっとひそやかにできないものか。そんなにおおっぴらに、スポットライトが当たった場所で(三つある洗面台の鏡の上にはライトが一つずつついている)やることないじゃないか。
そんなことよりなにより、さあこれからプールだ、水の中は気持ちいいだろうなあ、よし、たくさん泳ぐぞ、と勢い込んで更衣室に入ってまず目に入った風景がおじさんのたるんだお尻と局部だったときの僕の気持ちを考えてみて欲しい。

坂本さんの対談を読んで、ああ確かに、変な日本語だけど、見たくない権利っていうものはあるなあ、と僕は思った。おじさんが自分の裸をどうしようがおじさんの自由だ。でも僕にも見たくない権利はあるんじゃないだろうか。そんなことを思いながら、おじさんに背を向けて僕は、着ているものを脱いでいったわけです。

というわけで新年一発目です。まあもうあんまり読んでる人もいないだろうけど、たまに更新しているので見に来てみてください。新年一発目が、おじさんの裸の話でいいのか、という気もするけれど。
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