こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.53 コーヒー、肉詰め、写真     

2011.9.16

久しぶりにコーヒーをいれた。8月になる前、確かまだ今ぐらいの暑さの中で、鼻の脇に汗なんかかきながらいれたのが最後。8月に入ったらもっぱら麦茶をがぶがぶ飲んだ。毎晩麦茶を沸かすのが日課だと言っていいくらい飲んだ。だって血も沸くんじゃないかってくらいのあの暑さの中で、クーラーもない部屋で誰が熱いコーヒーなんて飲む気になるでしょうか?
でもなんとなくそんな気持ちになって昨日新しいコーヒー豆を買った。うちにはミルがないから粉に挽いたもの。来週の頭になれば雨が降って、だいぶ気温が下がるっていう話を聞いたからだと思う。もうちょっとすれば、温かいコーヒーでも飲みたくなるんじゃないかな、と、そう思った。

コーヒーメーカーじゃなくて手でいれた。つまり、ドリッパーにフィルターをいれて薬缶からよく沸いたお湯を慎重に垂らす方法で。コーヒーの楽しみは、飲むときではなくいれるときにある、などと言うと気障でしょうか。気障ですね。でも5回のうち3回くらいは、いれ終った後に少しすっきりした気持ちになったりする。あとの2回は、なんか面倒。多分僕は喫茶店のマスターにはなれないでしょう。
それに僕の場合、落ち着いて飲むことができない。まず、いれ終わった後、どうしても我慢できなくていれたてのやつを台所に立ったままずずっと飲む。コーヒーが出ている間のあの香りをずっと耐えながら待っていたんだからこれは仕方のないことだと思う。で、それからテーブルに持っていって、まあもう一口くらい飲むかな、そしたらパソコンや読みかけの本に向かう。で、例えばこうやって文章を書いたりしている間はカップにはほとんど手をつけない。一時間とかまとまった時間が過ぎている間、集中しているからコーヒーのことなんか全然思い出さない。ふっと集中が切れて、思い出したようにカップに口をつけると、大体コーヒーは冷めている。最初の一口のときの味や香りも、どこかへ消えてしまっている。

まあきっと僕にとってコーヒーとはそういうものなんでしょう。申し訳ない気はするけれど、とてもありがたいと思ってるんですよ、と頭を下げてコーヒーには許してもらおう。

少し前にピーマンの肉詰めを作ったら、これがびっくりするくらいうまく作れた。味は要するにケチャップ味だけど、キツネ色の焦げ目が美しく、肉も柔らかく食べながらピーマンがはがれてしまうなんて無様なこともない。自画自賛です。でも非常に満足したのでやましいところはまるでない。
こいうとき気の利く人ならすかさず写真をとって文章の隣に載せたりするんでしょうね。でも僕は食べるのに夢中でそれどころじゃなかった。どちらかというと自分は人間の男というより意地汚い雄犬のほうに近い気がする。
この文章に写真を載せたことはない。写真があったらもっとわかりやすいのかなあ、と思ったこともあった気がするけど、結局のところそんなに必要性を感じていないんだろう。まあ所詮雄犬だから、載せたいって思ったってわんわん吠えるだけで目の前の食べ物に夢中になってしまうに違いない。
唯一、文章の背景になっている写真は自分で撮ってる。大体冬頃の、東京の街だ。そうなっている理由は単純で、この文章の体裁を改める(すごく古臭い言い方だけど他の言い方がどうしても思いつかなかった)タイミングが新年だということ、あとは寒い頃の東京の風景が好きだからだ。本当にどうってことのない風景だけど、手前味噌を承知で言えば、僕は結構気に入っている。ごくたまに、前や前の前の年の文章を読み返したりするとき、この写真を見て、ああ、結構長い時間が経っているんだなあ、と感慨に耽ったりする。書く頻度も少なくなっているし、それはつまり書くことがないってことなんだろうから、もうやめちゃおうかなとか思うこともときにはあるのだけど、そうやって東京の真冬の風景を見ているうちに、まあもう少し続けてみるか、という気持ちになったりするから不思議だ
目次へ
あさかめHP

***** Copyright c 2009 Yohei Kodama. All rights reserved. *****