こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.50 うちの洗濯機     

2011.6.15

うちで使ってる洗濯機は、大学二年生のとき宿舎を出ることになって、それまでは共用スペースに何台か置かれていた洗濯機と乾燥機を使っていたのだけど、もうそれも使えなくなるからということで買ったものだから、数えてみるともう十三年使い続けていることになる。しかも、この洗濯機を買ったのは宿舎のそばにあった、「よみがえる」という名前のリサイクルショップで、そこに置いていた中でなるたけ新しそうな、全自動のものを買おうと思って選んだものだ。ということは、人が洗濯機をどれだけの年数使えばもういいやとリサイクルショップに出そうと思うのかは正確にはわからないけれど、この洗濯機の人生ということで考えれば、もう二十年近く動き続けているということになると思う。
そのことに、ある朝洗濯機に風呂の残り水を溜めているときに気がついて、すごく感心してしまった。うちの洗濯機には、自動で風呂水を洗濯槽に溜めるシステムはないから、僕はいつも、バケツにお湯を汲んで何度も何度も浴槽との間を往復して溜めなければならない。これが結構面倒。水をまわりにこぼさずに運ぶのは至難の業だし、それだけ注意してもそこらじゅう水浸しになる。時々、面倒臭くなって、ボタンを新しい水で洗う設定にして済ませてしまうこともある。そのときはらくちんでいいのだけど、しばらくすると、うしろめたさがうっすらと忍び寄ってくる。あんなにたくさんの水があるのに、あれをすべて無駄にするだけじゃなく、新しい水もたくさん使ってしまった。次からはまた残り水でやろう、と決意することになる。
まあものの本によっては、風呂の残り水で洗濯しても汚れが落ちないということを書いてあるものもあるから、結局は心持ちの問題だと思う。とりあえず乾いたものはいい匂いがするし、ぱりぱりと清潔な感じがするからいいかな、と思ってる。

とにかくそんなわけで、うちの洗濯機はもう二十年近くも壊れもせずに動き続けている。これはすごいことだと思う。同じ頃に買った電子レンジも冷蔵庫も炊飯器も、今はもう不具合が出て新しいものに買い換えてしまった。しかもそれらは新品を買ったのだ。引越しのとき、引越しやさんがうちの洗濯機を見て、「お客さん、これは、もう・・・」と言いながら苦笑していた。きっと彼の目にそれは粗大ゴミのように見えたのだろう。僕は適当に笑っておいた。

けれどうちの洗濯機は、人に笑われようが仲間たちが次々と姿を消そうがまったく動じることなく、ずっと健気に動き続けている。壊れた部分は何一つない。そりゃ、古いものだから最新の機能には欠けている。最近、節水ということですすぎ一回で済みますという洗剤が売られているけれど、うちの洗濯機にはすすぎの回数を調整する機能なんてない。「ウール」くらいはあるけれど、それ以外に細かい指定なんてできない。
けれどそれで困ったこともない。ちょっと繊細そうなのはネットに入れて洗えば済むし、どうしようもないものはクリーニングに出す。
考えてみれば、自分で洗濯をするようになって以来、僕はずっとこの洗濯機と共に生きてきたわけで、そうすると、洗濯とはもう、この洗濯機ありきという感じになってくる。洗濯機の方も、できないものはできない、と職人肌の頑固親父みたいな感じでどっしりとトイレの隣に座り込んでいるから、こちらとしては、はあそうですか、それなら別に構いません、と従順になってくる。

そんな亭主関白な洗濯機にも力の限界があるのか、この間、すすぎをしているときに家中に響き渡るような大きな異音をたてたのでびっくりして途中で止めてしまった。最近天気がすっきりしないので、ぐずぐずと洗濯物を溜め込んでしまい、容量一杯にぎゅうぎゅうにつめてまわしていたのが原因だったらしく、中身をほぐしたら元に戻った。けれど僕はあの瞬間、洗濯機が破裂して壊れてしまうんじゃないかと不安になった。それくらいのひどい音だった。ふたを閉じてまたまわりだした洗濯機を見下ろして、次からはもうちょっと優しく使ってやらないとな、と思った。
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