こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.49 今年初めての     

2011.5.7

今年になって初めて髪を切った。人々が、大体どれくらいの頻度で髪を切るのか知らないけれど、僕がこの前髪を切ったのは、去年の十二月だ。四ヶ月以上経ってる。だから、僕の頭はもう結構繁茂している。歴史を感じさせる古めかしい洋館の壁に這うように伸びている蔦を頭の上に乗っけてる感じだ。さまーずのコントで、「襟足がヘビメタみたいになってる」っていうセリフがあったけど、一番ヘビメタみたいなのは僕だと思う。

最近気づき始めたのは、もしかしたら自分は、天パなんじゃないかということだ。ちゃんと言うと、天然パーマだ。僕は今まで、自分はくせ毛だと思って生きてきた。高校生の頃、まだ髪の毛をセットしていた思春期の頃、いくらジェルを塗りたくっても、右のもみ上げは前に、左のもみ上げは後ろにくるんとカーブしているのを必死でまっすぐに伸ばそうとしていたときに、初めて、自分の髪の毛はくせがあるのかもしれない、と思った。それ以来髪が伸びてくるたびに、ああ今日も僕のくせは元気がいいなあとか思ったり、美容師さんからも、いい感じのくせですね、なんてお世辞を言われたりしてきた。人に髪の毛のことを触れられたときにも、ええ、くせ毛なんですよ、と答えてきた。

だけど、このごろ、野放図に伸びまくった髪の毛が、朝起きると結構なことになってる。全体的に上のほうに盛り上がってる。くるくると毛は巻き、めちゃくちゃにまとめた大きな毛糸玉みたい。そのスケールは、もうくせなんて甘っちょろいものじゃなくなっている。これはパーマだ。まぎれもなくパーマだ。

まあ別にどちらでもいいんだけど。なんとなく自分についての意識が変わったという話です。それにもう盛大に伸びてた髪の毛はすっきり刈り取ってしまった。お金を払ってるんだからたくさん切らなきゃもったいない気がするという貧乏根性により、僕はいつも伸ばしに伸ばした末、床屋さんが嫌になるくらいそれを短く切ってもらう。しかもはさみで。今回言ったのは、一年程前に一度言ったことのある近所の床屋さん。いつもは電車に乗って美容室に行くのだけど、今回は顔剃りをしてもらいたくて床屋さんにした。
そこは夫婦でやってるお店で、特徴としては、とにかく切ってる間ずっと喋ってる。僕は服屋さんとか、お店の人と話すのはそんなに得意じゃない。でもここのおじさんとおばさんはまったくそんなことは構わない。おじさんが話し終え息継ぎしてる間におばさんが話すという連続技で、声が絶えるということがない。僕も一応受け答えするんだけど、口の上に蒸らしタオルを乗っけられてはさすがに何も言えない。だけどおじさんは構わず話し続ける。答えなくてもいいのかな、と思って相槌を休むと、あれ、聞いてるかな、みたいな顔をして鏡越しにこちらを見たりするから油断がならない。慌てて、そうですね、とか言うことになる。
よく見てると、おじさんは鏡越しに僕を見たり、窓の外を通る人を見たりして、結構切ってる手元を見ていないことがわかった。実は前回行ったとき、家に帰ってよくよく鏡を見てみると、眉毛の間が若干左側にずれていた。だから今回も大丈夫だろうかと、はらはらしておじさんの手元を見守っていた。
けれどそんな心配は必要なかった。眉毛もきちんと対称だったし、髪の毛もさっぱりした。最近は若い人は減ってるらしいけど、僕は顔を剃ってもらうのが気持ちがよくて結構好きだ。満足して、ひとまわり小さくなった頭で家に帰った。

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