こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.46 あなたの頭の中で再生されるための短い戯曲     

2011.3.18

『あなたの頭の中で再生されるための短い戯曲』

大きめのリュックサックを背負い、旅に出ようとしている男。向かい合っているのは、日常的な、例えば、ブラウスの上に薄手のカーデガンを羽織り、細身のジーンズを履いた、女。場所は、行く手が濃い霧に覆われてよく見えないアスファルトの一本道。あるいは、人の姿のない、空港のだだっ広い待合所。あるいは、小さな電灯が一つだけついた薄暗い玄関。

男は別れを告げようとしている。女は男を見送ろうとしている。

男 寒いね。
女 うん。
男 ごめんね。こんなところまで。
女 全然。
男 本当に?
女 まあちょっとここは寒すぎるけど。
男 本当に。
女 準備は万端?
男 うん。
女 足りないものはない?
男 まあ、ぜいたくを言えばきりがないけど。
女 うん。
男 何も持つ必要はないと言えばそうかもしれないし。
女 そうかな?
男 ん?
女 持てるものは持てるだけ持っていったほうがいいよ。
男 ・・・。

風が吹く。身を切るような、冷たい風だ。

女 (体を抱きしめるようにして)寒い。
男 ねえ?
女 ん?
男 今持っている荷物をすべてここに置いてさ。
女 なんでよ。持っていきなって言ってるのに。
男 いいから。
女 うん。
男 今持っている荷物をすべてここに置いて、君を背中に背負って連れて行ければいいのに。
女 ・・・。
男 そういうことは、不可能なのかな?不可能なことなんて、あるのかな?
女 ・・・。
男 不可能なことなんて、ないよ。きっと。不可能なことなんて。
女 あたしの腕はこんなに細いし。
男 何の話?
女 そりゃもちろんもうだいぶ肉もついてきたし。そういうのは、時間が経つっていうのは、かなり遠慮なしなところがあるし。
男 僕のお腹まわりについてもそれはそうだね。
女 でもね、それでもあたしの腕と背中は、あなたを連れ戻すために空けてきたんだよ。

男、少し黙ってから、笑う。女もつられたように笑う。

男 とてもありがたいけど、それは無理だよ。
女 わかってる。
男 君が僕を担ぐってのは、さすがに。
女 そうだよ。無理なんだよ。

二人とも黙る。風の吹く音だけが聞こえる。

男 そのときは僕が君を背負うから。
女 どっちでもいいよ、それは。どっちでも同じだよ。多分。
男 そうだね。
女 うん。
男 同じだね。
女 ・・・。
男 僕がこれから行く場所も、君がこれから行く場所も、同じだね。だから、連れて行く必要はない。
女 ・・・。
男 (ひとり言のように)連れて行く必要はない。
女 時間は?
男 そろそろだね。
女 気をつけて。
男 君も。
女 道に迷わないように。
男 君も。
女 寂しくならないように。
男 君も。
女 ・・・。
男 楽しいことがあれば笑うように。
女 あなたも。
男 一人きりの夜もぐっすり夢も見ずに眠るように。
女 あなたも。
男 僕も君も。
女 あなたもあたしも。

男は女の体に覆いかぶさるように抱く。女は両手を男の背中にゆるくまわす。しばらくして二人は離れる。

男 それじゃ。
女 さよなら。
男 さよなら。

男は女に背を向けて歩き出す。ゆっくりと、しっかりした足取りで。女はその後姿を見送る。男の姿が霧の向こうに、ドアの向こうに、消えてしまうまで。男の姿が完全に消えてしまった後、女はしばらく呆然としている。と、強い風が吹きつけてくる。女は寒さから身を守るように自分の体を抱きしめる。風がやんで、女はおずおずと周りを見回す。女のまわりには、すべてがある。男の姿以外は。女のまわりには、男の姿以外のすべてがある。女は静かな目で、自分のまわりの風景を、ずっと見ている。



僕はこれまで、本当にたくさんのことを忘れてきたけれど、あの日、テレビの中に見た風景は、一生忘れないだろうと思う。あの日以来、多くの人がそうであるように、僕は言葉を失ってしまった。何かを言うことが、意味のあることなのか、わからなくなってしまった。
そんな僕の中に、一週間という時間をかけて、また言葉が戻ってきたのは、被災地で、本当にひどい目にあった方たちが、それでも生きようとしている姿をたくさん見たからだと思う。うれし涙を流し、感謝し、悲しむ。生きるというのは、そういうことなんだなと、教えられたからだと思う。
僕が失ったものなんて、被害に遭われた方たちに比べれば、ほんのちっぽけなものだと思う。でも量の多少に関わらず、多分、日本中のすべての人々が、この地震のことを知った世界中のすべての人々が、等しく何かを失ったのだと思う。僕らはこれから、失ったものが作った欠落を抱えて生きていかなければならない。その欠落が、誰かを苦しめたときに、頭の中でこの二人の姿が再生されればいいと思う。別れの間際、二人の間には、思いやりと、願いがあったのだということを、思い出せればいいと思う。

道に迷わないように。楽しいことがあれば笑うように。
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