こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.44 体がなだめてくれる     

2011.2.12

プールが混んでいて、思う存分泳げなかった気がしたので、二日後にまた行った。うっかり、いつもかぶっている厚手の帽子を忘れて、薄手のニット帽をかぶって出てきてしまったことに気づいたけれど、まあいいかとそのまま寒風の中を自転車ででかけた。二日前の分まで泳ごうと、その日はいつにも増して一心不乱に泳いだ。終わった後、なんだか節々がだるい気がする。必死に泳いだからなと、ちょっとした満足を感じていたけれど、今思えばもうそのときには菌が僕の体の中を動き回り始めていたのかもしれない。

風邪をひいた。一年ぶりだ。高いときには39度以上の熱があって、結局5日位寝込んだ。運よくインフルエンザじゃなくて胸を撫で下ろした。いつもなら喉の痛みから始まることが多いのだけど、今回は珍しく咳と頭痛が治まらなかった。プールで冷えたのが原因かどうかはわからない。考えてみれば、その少し前から体が重かった気もする。とにかく帰りに体を冷やさないように、帽子を忘れたらちゃんと取りに帰ろうとは思った。

熱はなかなか下がらないし、頭が痛くて困るので、本も読まずにとにかく寝ていた。起きたら水分を取って、熱を測ってもまだ下がってないから、また布団の中にもぐりこむ。さすがにさっきまで寝ていたのだから、そうすぐには寝付けない。ぼんやりした頭に、十年前に入院したときのことが浮かんだ。

茨城のアパートから、東京の新居に引っ越してきて二日目のことだった。僕は同居する友達と、先に東京で暮らしている別の友達の家に遊びに行った。夜遅くまで飲んで、その日は泊まった。
次の朝、目が覚めるとなんだか肩の辺りが痛い。筋肉痛になったような感じだけど、激しい運動をした覚えはない。時間が経つにつれて、痛みは激しくなり、胸の辺りが息苦しくなってきた。これはおかしい、病院に行こう、となったときには、僕はもうまともに歩くのもままならなかった。
その時点で、これは気胸に違いない、と断言する男がいた。泊まった家の友達だ。なぜそんなに自信があるかと言うと、彼自身も大学時代に気胸になったことがあり、そのときの症状と今の僕が似ているからだ。付け加えると、気胸というのは肺に小さな穴が空いて肺がしぼんでしまう病気で、原因はわからないけれど、若くて、ほっそりした体型の、男性しかかからないという、もう僕のためにあるような病気なのだ。
今考えても不思議でならないのだけど、ちょうど前の夜、酒を飲みながら、児玉は絶対気胸になるよ、という話をその友達がしていたのだ。冗談でしょ、と誰だって思う。でも胸が苦しくて、体を折り曲げずに歩くことができないのは、紛れもない現実なのだ。

とにかく僕の家の近くの病院に行くことにしたのだけど、その道のりは苦しかった。タクシーと地下鉄を使ったのだけど、本当にささやかな振動が、胸にこたえる。車両が揺れるたびに、息が詰まる。乗り物というのは、こんなに上下に揺れるものなのだと、そのとき初めて知った。
病院につくと、やっぱり気胸だという診断。ベッドに寝かされて、治療されることになった。どういう治療かというと、肺に管を差し込んで、空気を入れて膨らませるという、聞いただけだと遊んでるみたいなものだ。麻酔をされた僕は、横向きに寝かされた。するとなんか変な音がして肋骨の辺りに嫌な振動がする。脇の辺りに管を入れるための穴を開けているわけである。これがもう本当に嫌だった。麻酔をしてるから痛くはない。でも体に穴を開けられ、よいしょ、よいしょと力ずくで管を差し込まれてるというのは、ちょっと他で経験できないくらい嫌な感じだった。

でもとにかく僕の胸の苦しさはよくなった。だけど穴がふさがるまで一週間ほど入院することになった。これが結構憂鬱だった。なにしろ小さな病院で、カーテンで仕切られているだけですぐそばにいろんな患者さんがいるし、夜になると、他の病室から苦しそうなうなり声が聞こえてくる。環境だけの問題じゃなくて、そのときの僕の心境もあんまり明るいものじゃなかった。だって東京に出てきたばかりの僕は、仕事もなければお金もなかった。お芝居の本番だって予定されてたし、なにより、さあこれから新しい生活だと思った矢先にこの出来事だ。もしかして僕の門出はあんまり祝福されてないのか、と思っても仕方ないと思う。

まあそんな憂鬱な日々だったけど、友達が頻繁に見舞いに来てくれたので、なんとか乗り切ることができた。同居する友達は毎日顔を見せてくれたし、心細い気持ちを慰めてくれる人たちがいるというのは、ありがたいことだなあと思った。

でも思うのは、体がブレーキをかけるというのは、もしかしたらそんなに間違いじゃないのかもしれないということだ。よくよく考えてみると、気胸のときに限らず、さあどんどんやるぞ、という勢いこんでいるときに限って、熱を出したり体調を崩したりする気がする。それは、あんまり焦らない方がいいよ、という体からのメッセージなのかもしれない。もちろん、さあ頑張るぞと思うたびに体調を崩すというのは、なんなんだよと悪態の一つもつきたくなるけれど、でも、しばらく寝込んでいるうちに、体全体に渦巻いているスピードが、通常のペースに戻っていくような、そんな感覚があるのも事実なのだ。そんなふうに考えているみたいだけど、急がなくたって問題ないよ、と体が、たしなめるみたいになだめてくれているんじゃないかと、熱にうかされながら思ったりした。そう言われてみれば、それほど明確な理由もないのに、無闇に気持ちが急いていたのかもしれないな、と。死ぬほどの病気にかからないことも、それを証明しているような気がした。

それならば気兼ねなく休むかと、とにかく眠った。おかげで熱は下がった。少し咳は残っている。脇に空けた穴の跡も、まだ小さく残っている。
目次へ
あさかめHP

***** Copyright c 2009 Yohei Kodama. All rights reserved. *****