こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.43 二つの大きな才能     

2011.1.22

録画しておいた『千と千尋の神隠し』を観た。多分そういう人は多いと思うけれど、僕も宮崎駿の作品が好きだ。友達と飲んだりしているときにも、たまに、宮崎作品で何が一番好きかという話になる。僕は随分長い間、『紅の豚』を挙げていた。けれど本当はもう少し複雑で、なんだか心の底が暖かくなるということで言えば『紅の豚』だけれど、深い衝撃を受けたということで言えば『もののけ姫』で、手放しで感動した、と言えば、この『千と千尋の神隠し』だ。

『千と千尋』の何に感動したかと言うと、それはストーリーについてではなくて、そこに注ぎ込まれた膨大なアイデアの質と量にだ。日常的な世界から、突然へんてこな世界に紛れ込んでしまうという『アリス・イン・ワンダーランド』的な始まり方にもゾクゾクしてしまうけれど、なによりそのへんてこな世界が素晴らしい。八百万の神々が集まる銭湯なんてアイデア、宮崎駿以外の誰に思いつくだろう。もしかしたらなんらかの伝承があって、それに基づいたものなのかもしれないけれど、その上で、あれだけユーモラスでグロテスクな世界を作りあげられるのは才能以外の何者でもない。

個人的に一番好きなシーンは、千たちが海の上を走る電車に乗っているところだ。あれは本当に魅力的だ。少しずつ日が落ちていく海の上を、小さな電車が静かに走る。駅に着くたび体が薄くなった人々が次々と降りていく。死の世界とか、思い出とか、象徴的な意味を取りたくなってしまいそうになるけれど、そういう意味とかを越えて、僕を不思議な世界に連れて行ってくれる。

今頃、ということでは共通しているかもしれない。『1Q84』BOOK3を読んだ。1と2を読んだのは一昨年の夏頃で、はっきり言って細かいところは忘れていたけれど、それでも十分堪能できたと思う。僕は『1Q84』についてのレビューや批評はほとんど見ていない。だからこれから書くことは既にいろいろな人が感じていることなのかもしれない。でも、自分なりに考えたことがあったので、書いてみようと思う。多分、筋なり結末なりに触れることになると思う。

読み終える前から、少しずつ染み込むように理解していったのは、これは、物語であることを志向して書かれたものではないのかもしれない、ということだった。物語ではないということ。つまり、物語の進み方や結末が、なんらかの具体的なビジョンを導き出すものではないということだ。なぜそういうことを感じたかと言うと、どうも読みづらい小説だなあと思いながら読んでいたからだ。読みにくい村上春樹、というのは、それだけでなんだか既に矛盾をはらんでいる気がするくらい、この作家は軽々と僕らを一風変わった世界に連れて行ってくれた。けれど『1Q84』は、正確に言えばBOOK2の途中くらいから、どうにも読み進めづらいなあと僕は思っていた。なんだか一つ一つのことを繰り返し書きすぎているような気がした。例えば、天吾と父親についての描写。書きたいという執着はわかる。でもそれほど魅力的なシーンだとは思えない。『世界の終わり』や『ねじまき鳥』は、もっとぐんぐん引っ張っていってくれたはずなのに。
だから僕は正直なところ3にはそんなに期待していなかった。急いで読む必要はないかな、と考えていた。

でも読み終わった後、その認識は変わった。ああ、3は書かれなければならなかったんだ、と思った。作者自身がどうかは知らないけれど、僕は2でこの小説は終わっていると思っていた。でもそうじゃなかった。
物語ではないこの小説が、では何を目指していたのか。困ったことに、ここからはかなり抽象的な話になる。それほどしわの多くない脳みその持ち主がその能力をそれでも精一杯使って考えたのだと思って許して欲しい。

希望を、書こうとしたんじゃないか。この小説を使って、作り出した世界のすべてを使って、希望とはどういう形をしているのかということを、書こうとしたんじゃないか。僕はそう思った。文章も、物語も、もしかしたら小説であることさえも捨てて、とにかく希望というものの形を、読者と、共有しようとしたんじゃないか。
最後に天吾と青豆が巡り会い、セックスをすることができたからそう思ったのではない。むしろ、そういう何かの代償のような出来事を、希望と言うのではないと、語りかけられているような気がした。そう考えたのには、牛河の死があったからだと思う。僕にとっては衝撃的なシーンだった。生きているときも、死んでからも、誰からも祝福されず誰からも悼まれることのない人間。その上に成り立っている愛情を、手放しで希望だと言えるだろうか?

多分希望とは、そういうものすべてを含んでいる、と言い切るには、僕はまだ未熟だし、そこまでこの小説を読み込むことはできていないと思う。きっと僕は今後、何度もこの小説を読み返すだろう。まだわからないことが多いし、単純に間を置かず読むべきだろう。そうする価値のある小説だと僕には思える。
ただ、希望というのは、悪いことの後には必ずいいことがあるというような、部分的なものではないんじゃないかということを、小説として見せてくれたような気がしている。希望というのは、もっと、想像しているよりもっと、大きなものなんじゃないかと。
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