こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.42 趣味は水泳    

2011.1.12

そんなことを聞かれることはあんまりないけれど、趣味は何ですか、と聞かれたら、今までは読書です、と答えていた。趣味は読書、というタイトルの本を斉藤美奈子が書いているけれど(読んだことはない)、答えとしては結構平凡な部類に入ると思う。本を読むのが好き、と一口に言っても、読んだ本の話があうということは滅多にない。それほど本の世界は広いのだということだろう。人によっては、本は読むものではなく、集めるものだ、という人さえいるわけで、趣味は読書、という答えの平凡さに比べて、その中身は、魑魅魍魎跋扈する、薄暗い世界が広がっているみたいだ。

そんな僕に、新たな趣味ができた。それは水泳だ。趣味は水泳、というのも、はっきり言ってそれほど突飛なものではない。刀鍛冶とか、ハリケーンの観察とか、まさかそんなものを、という趣味を持っている人はきっとたくさんいるだろう。でもあくまで個人的に、趣味が水泳、というのは、非常に驚くべきことというか、もっと言えば、天と地がひっくり返ったようだと言っても過言ではない。なぜなら、僕はカナヅチだったからだ。

そのことについては前に書いたことがあるような気がする。僕は生まれてこのかた泳げたことが一度もなかった。小学生の頃、六年生になるまでずっとビート板を使っていた。いや、水の中にいた時間だってそんなに多くない。皆さんのクラスにも必ずいたと思う。プールサイドでバスタオルにくるまって唇を青紫色にしてガタガタ震えていた子供が。あれがまさに僕だった。どんなに暑い真夏の日でも、水に入った途端、僕の体は小刻みに震えだす。ときにはお腹が下り始める事だってある。もう泳ぐどころじゃない。
なんでこんなにすぐに寒くなってしまうのか。担任の先生が言っていたのは、児玉君はガリガリに痩せているから、冷たさがあっという間に骨の髄まで染み込むんじゃないだろうかってことだった。確かに、と僕は思った。実際その話をしてくれた先生も、骸骨のように痩せた体で、水の中でガタガタ震えていた。
それからも、僕の体がふくよかになることはなかった。同時に、泳げるようになることもなかった。

そんな僕が、趣味は水泳だと言っているわけである。そんなことが起こるなんて考えたこともなかった。でも人生は何が起こるかわからない。去年の馬鹿みたいに暑い夏に、もうこれは直接水に浸かる以外に涼む術はないと(うちにはクーラーがないので)、意を決して近所の公営プールに行った。泳ぐ気はこれっぽっちもなかった。流れるプールがあるらしいので、そこでぷかぷか浮かんでいようと思っていた。
それが、一緒に行った人にちょっと教えてもらいながら泳いでいるうちに、なんと25メートル泳げるようになったのだ。たかが、と思う人もいるでしょう。でもね、進んでいるうちにどんどん体が水の中に沈んでいく人間にとってこれはすごいことだった。あれ、ちょっと楽しいかも、そう思った僕は、それから週に一回くらいのペースでプールに行くようになった。それが今も続いているわけだ。

結構重要だったのは、そのプールが温水だったことだ。天敵の水の冷たさにやられることなく、のびのびと泳ぐことができる。泳げるようになると、ああ、水の中ってなんて気持ちいいんだろうなんて思うようになるから不思議だ。実際、平泳ぎでスイーッと水を分けて進んでいくのはちょっと他で味わえないくらい気持ちいい。今は、速くはないしターンもできないけど、とにかく百メートルくらいは泳げるようになった。

プールに行くようになって初めて知ったことは、泳ぎ方というのは、実に人それぞれだということだ。もしかして溺れてるんじゃないの、と心配になるようなクロールでなん往復もする人も入れば、何か強いストレスでもあるのか、思い切り水面を叩いて盛大に水しぶきをあげてまわりの人を唖然とさせている人もいる。僕は心の中で、鯨のおじさん、とその人のことを呼んでいる。
かと思えば、どこにも力の入っていない、美しいフォームで魚のように進む人もいる。いつかあんなふうに泳ぎたい、というのが目下の僕の目標だ。
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