こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.41 じゃがバターからカキフライまで    

2011.1.3

今年の目標は、このエッセイのことを、忘れないこと、にしようと思う。
おみくじを引いたら大吉が出た。何年か前に、確か出た気がするけれど、もういつのことだか忘れてしまった。希望はすべて叶うらしいし、失せ物も出るそうだから、心を正しく生きていこうと思う。
ここ何年かは毎年同じ所でおみくじを引いているけれど、お参りはしない。正確に言うと、正面からは、ということになる。いつもいつも気の遠くなるような列の長さなので、おみくじを引いた後、売り場のあたりからとりあえず手を合わせるというのが習慣になってる。そんなんじゃご利益も薄かろうという気もするが、まあ初詣はもう済んでいるし、大目に見てください、という感じだ。

ここはたくさんの屋台が出ていて、いい匂いをさせている。いつもは目移りしてしまって、なんとなく何が食べたいのかわからなくなってしまうのだけど、今年は、一番手前にあった、じゃがバターにそそられた。いつもなら、ただのじゃがいもじゃん、と言って素通りするのに、なぜ今年急にひかれたのかはよくわからないけれど、とりあえず一つ買って食べてみる。おいしい。山盛りのバターはつけ放題だけど、それ以外にもコショウやら味噌やらも置いてあり、僕はマヨネーズをつけて食べた。熱したジャガイモはほくほくで、とても甘い。喜んで食べた。
五分後、ほくほく感に飽きる。なんでこんなにたくさん、とさえ思う。嬉々として塗りたくったマヨネーズとバターの脂分がお腹にもたれ始める。じゃがバターはおいしいけれど、半分でいいな、という教訓を得る。
そのあとも、おやきやたこ焼きに目がいったけれど、お腹の中はいっぱいのジャガイモで満たされていて断念。来年はもっと計画的にいこうと決意する。

昔を思い出せば、屋台の食べ物の中で僕はりんご飴が一番好きだった。小さめのりんごを、甘ったるい飴で包んだやつ。夏祭りなんかに行くと、毎回ではないけれど、りんご飴を喜んで買っていた。でもそれも、食べ始めはいいけど、そのうち、なんか大きいな、と思い始める。あんず飴やいちご飴は果実にあわせて小さめだけど、りんご飴は顎が外れるかというほどでかい。帰り際に食べ初めて、バスの中でも食べ、家に帰ってからも食べ終わらず、なんてことがあった気がする。どうも屋台のものは、ほどほどに食べたい、というものが多いのかもしれない。

話は変わるけれど、最近本格的に寒くなってきて、頻繁に食べるようになった鍋の中で、僕が好きな具材は、椎茸と豆腐だ。椎茸は、なんといってもあの食感がいい。奥歯でくちゃくちゃと噛むと溜め込んでいた汁がこぼれ出てきておいしい。椎茸よりももっと必須なのが豆腐で、これがないと、もうそれは鍋じゃないというか、まだそんな機会はないが、完全に出来上がってテーブルに運ばれた中にあの白いものの姿が見えなかったとしたら、寒風吹きすさぶ中、僕は豆腐屋に向かって駆け出すと思う。それくらい好きだ。自分でもなんで豆腐がそんなに好きかわからない。もう理屈じゃないとこまできている。とにかくなきゃ駄目なのだ。

他にも鱈とか牡蠣とか、あればあったで嬉しくなるものはあるけれど、でも基本的には、白菜とねぎと、豚肉か鶏肉、あとは何かキノコと必ず豆腐があれば、僕はそれだけで満足だし、それだけで鍋を食べたと自信を持って宣言できる。

牡蠣が冬のものだと知ったのは、ここ二三年のことで、真夏にある居酒屋で、メニューにカキフライがあったから注文したら、牡蠣は冬だけですとむしろ諭されるように言われて初めて知った。知らないことはいくらでもあるものです。
それ以来、冬になり、「カキフライ始めました」という看板が出されるのを見ると、できる限りの努力を払って食べるようにしている。同じカキフライといっても、店によっておおこんなに立派なのが育ったかと感心するときと、あまりに縮こまってしまっていて泣きたくなるときがあって、そのたびに一喜一憂させられる。うちじゃフライはしないし、外で食べることも多くないから、たまに大ぶりの、サクサクのカキフライが食べられた時の喜びは非常に大きい。そんな喜びを求めて、僕は今日もカキフライを探すのである。
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