こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.40 気分    

2010.12.4

気分が乗らないということがある。なんだかやる気が出ない。何をやっても、いつかの繰り返しのような気がする。結末ばかりを想像して、億劫がってる。楽しくない。鬱屈というほどじゃない。ただ、真っ暗で狭い部屋の中に閉じ込められたような気分になる。居心地はそんなに悪くない。でも良くもない。

そんな小部屋にいつまでもいても仕方がないから、外に出ようとする。人によってその方法はいろいろだと思う。僕もいろいろやる。好きな本を読んでみたり、音楽を聴いてみたり、スーパーマーケットに行ってみたり、いつもと違う道を歩いてみたり。けれどどうもうまくいかない。気分を、乗せようとしても、なかなか乗ってくれない。こういうことに、何かをすれば必ず気分が乗るというような、公式、みたいなものがあるのか知らないけれど、とにかく僕は、その公式を、まだ手に入れていない。

そういう時間が流れていたときに、ふと、松本大洋の『花男』を手に取った。松本大洋のマンガの中で、僕は『花男』が一番好きだ。一般的に言えば、『ピンポン』とか『鉄コン筋クリート』とかのほうが人気があるのかもしれない。僕はその二つも好きだ。でもそれ以上に『花男』が好きだ。

だからって、『花男』が僕の気分を変えてくれるなんて、期待してなかった。好きなものを摂取するという方法なら、もういくつも試したのだ。それでもうまくいかなかったのは、別にそれらのものが本当に好きじゃなかったとかそういうことじゃないと思う。それは単に巡り合わせの問題だ。作品の方でこちらに開いていたとしても、僕が閉じていればそのやり取りはうまくいかない。何にしても、そうだと思う。

だからなんで、『花男』を読んで、僕の気分が、完璧にとまではいかないけれど、それでもどんよりと曇っていた空が、端っこの方からはがれていくみたいに、新しい光を迎えるような気分になったのか、よくわからない。それは僕にとっても、本当に不思議な体験だったのだ。

ここで分析みたいなことをする気持ちにはならない。『花男』がどんな物語で、どういう部分が僕の心に響いたのか、そういうことを一つ一つ言葉にしていっても、多分大事な部分は少しも明らかにならないだろうし、むしろ、煙か何かみたいに、散り散りになってどこかへ消えてしまうだろう。だから、公式、というものは初めから存在しないのかもしれない。公式にしてしまうことは、消してしまうのと、同じことなのかもしれない。

ただ、感謝したいような気分にはなる。読み終えた後で、丁寧に拭い去ったみたいに、視界がクリアになっている、そのために払われた努力は、感性だとか、才能だとか、単純な言葉で言い表すことはもちろんできなくて、祈りのような、ひたすらに切実なものなのだと思う。大げさかな。

そういうものは、実はいろいろなところに、時には無造作に、置いてある。芸術、ということに限っているのじゃない。風景とか、声とかが、置いてあるんだ、と、そういうことを知ったことが、なんだかいいな、と思う。それなら、公式なんて必要ない。
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