こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと。



vol.4 カサゴ事件

2009.3.31

ことの始まりはカサゴだった。少し状況を説明しておくと、その日、僕はあるレストランで食事をしていた。そのレストランは海の幸を使った料理が評判で、何より、ボリュームが半端じゃないという噂だった。実際、席に着く前からテーブルには刺身の船盛がのってたし、もちろんそれで終わりじゃなく次々に魚料理が運ばれてくる。そのどれもが結構なボリュームがあり、カサゴのあんかけもそのうちの一つとして僕の目の前に出されたのだ。

料理はどれもおいしかった。でも何度も言うように品数が多い上にその料理もすべて大盛りだったから、僕は、もしかすると食べきれないかもしれん、という不安を抱いた。ウェイターの人はこれからも続々サーブする気満々な様子だし、だから僕は、あんまりのんびり食べてるとお腹いっぱいになってしまうから、多少勢いをつけて食べていこうと思った。もとより、僕はせっかちな性格なので食べるスピードが人より速い。以前友達に、「児玉の食べっぷりを見てると、自分も食べたくなるか、不愉快になるかのどっちかだね」と言われたことがある。多分その友達はどっちかというと不愉快になったのだと思うけれど、まあそれくらい僕は勢い良く食べる。通常がそうなのだから、そのときは相当大慌てで食べていたのだと思う。

で、とうとうカサゴを食べる段になった。ちょっと箸をつけてみると、小さな骨がたくさんあって、ひれの部分は揚げられて鋭い針のようになっている。僕は、厄介そうな代物だな、と思った。味のことではない。僕は不器用で、魚を食べるのが上手くないのだ。以前、海辺の町で生まれた友達と魚を食べたときに、目の前で深いため息をつかれたことがある。こうして並べ立ててみると、このとき、僕にとって不利な材料がずいぶん豊富に揃っていたのだなと感心してしまうけど、とにかくそれでも僕はカサゴを食べようと箸でわしづかみにした。いちいち小骨を取っていたらいつまで経っても食べ終わらない気がしたから、思い切り良くかぶりついて口の中で骨をよりわけようと考えたのだ。僕はカサゴの下腹あたりにかぶりついた。どうしてそんなに思い切ったのかわからないけど、骨だらけの魚を口いっぱいに頬張った。僕は一度カサゴをかんだ。肉よりも、骨の固い感触の方が目立つ。僕はもう一度かんだ。歯茎にとげみたいなのが当たる。なんか危ないなあと思い、舌で少し骨をよけた後、もう一回かんだ。そのとき、ザクッという音がして、舌に鋭い痛みが走った。骨が刺さった。すぐに僕はそう思った。あまりに痛かったため非常事態だということを悟り、少し口の中身を出して舌の裏側を探った。けれど骨は刺さってない。ただ触った部分がヒリヒリした。痛みはそれほどでもない。気を取り直して僕は食事を再開した。舌は痛んだけど、最後まで食べきることができた。

苦しみが待っていたのはそれからしばらくしてからだった。僕は徐々に食事ができなくなっていった。かむたびに歯に傷口がこすれて声を上げてしまうほど痛い。汁物や醤油はしみてしみて仕方ないから食べられない。熱いものもしみるから駄目。食事のときだけじゃない。何の意識もしないでいると、傷口が歯に当たって痛いから常に舌を上顎につけておかなければならない。その頃ちょうど花粉症がひどくて、夜眠るときに鼻が詰まって息ができないから口を開ける。するとその体勢がもう痛い。口を開けると痛いし、閉じると息ができない。地獄という他にない。

たまりかねてある日近所の歯医者に行った。口内炎がひどくて物が食べられず、点滴を打ったという話も聞いて、これ以上大事になったらたまらないと思ったし、なにより痛くて痛くてもう我慢できない。飛び込みで行った病院は運よくすぐに診てくれた。しかし、ということでもないんだけど、僕を迎えてくれた先生が、小麦色の肌、ソバージュみたいなパーマのサーファー風の男だったのだ。僕の胸に不安がよぎった。別にサーファーに偏見があるわけじゃない。でも、海辺で海パンはいて歩いてればすぐに信用できるだろうけど、歯医者でサーファーに出会ったらそんなにすぐに信用できるだろうか。しかもなぜか着ているのは白衣ではなく普段着みたいな半袖のポロシャツだった。不安が増すのも仕方あるまい。サーファーは(勝手に決めてるけど)僕の口を見るなり、「うわあ」とうめき、フランクな口調で、「口内炎みたくなってるよ」と言った。サーファーが言うには、とにかく僕の口の中が不潔(そうサーファーは言った)なので、これは口内炎にはとてもよくないんだということで、サーファーはそのことを三回位繰り返して言った。よっぽどだったのだとは思う。でもそりゃ僕だって普通だったら歯医者に行く前に歯くらい磨くが、そのときはあまりに痛くて切羽詰ってたもんだから、歯も磨かずに外出先から直接行ったのだ。つまりは非常事態だったわけで、正直なところ、そんなに言わなくてもいいのに、と僕は思った。

と、まあ、サーファーの株はかなり下がっていたのだけど、彼がくれた薬を塗ってこまめに歯を磨いていたら、傷はあっという間に治った。そのときの感動と言ったらない。やっぱり外見で人を判断してはいけないなと反省した。この件以来、こまめに歯を磨く習慣が残ったのは、もちろん自分のためではあるけれど、サーファーの言ったことが忘れられないから、というのも少しはある。それにしても傷が治って本当に良かった。このまま何も食べられなくなって、僕の細い体がよりいっそう細くなってしまったら、きっとこの地球上では生きていかれないだろうと思う。
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