こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.39 リストじゃなくて   

2010.11.24

図書館で本棚を見てまわっていたら、ポップな装丁の美術書があったので手にとって見た。美術展のカタログみたいだった。僕はパラパラとめくってから、近くのイスに座ってそれを読み始めた。

それは、何年か前に開催された現代美術の展覧会のカタログで、その美術展の名前を、僕はどこかで聞いた記憶があった。もしかしたら見たやつかもしれないなと思って出品作家の名前を見たのだけど、半分くらいは聞いたことのある若手の現代美術家ばかりだったのだけど、見たかどうかははっきりとは思い出せなかった。まあいいか、と僕はそのカタログを読み始めた。カタログの構成は、前半がその展覧会のテーマを解説する評論文や座談会で、後半が出品された作品の目録だった。僕は順番どおり、評論文から読み始めた。

その展覧会は、多くの展示がそうであるように、キュレーターの人がある定義を作り出し、それに当てはまる作品が展示されているというものらしく、評論文の大半はその定義についての説明や、その時代背景の解説なんかだった。まあ正確に言えば、作品と出会ったことと、その定義を思いついたのは、どちらが先ということではないのだと思う。とにかく、ここまでの流れがあり、その延長としてそういう傾向が生まれ、それは現代という時代とこういうつながりがある、こういうものである、というのが文章の要旨だった。

僕は結構な分量のあるそれらの文章を、根気強く読んでいった。なんとなく納得させられるものはあった。なるほど、確かにそういうものが生まれるのは必然的なことなのかもしれない、と頷かされた部分もあった。けれど、最終的にその前半部分を読み終わったときに僕が得た感想は、それにしても、この定義どおりに作られた作品があったら、とてもつまらないだろうな、ということだった。もっと言えば、もしこの定義どおりに作られた作品があるとすれば、なんだか恐ろしいことだな、と思った。でもとにかく、僕はそのあとの目録を見ていった。具体的に出品された作品の写真なんかを見ていったのだ。
そしたら、それらの作品は、面白いのだ。もちろん実物ではないということは差し引いている。でもそれをのぞいたとしても、どれもそれぞれのユニークな衝動と方法で作られていて、刺激的だった。それを見て、なんだか僕はちょっとほっとしたのだ。

なんでこんなことが起きたのか。それは多分、カタログの中で書かれた文章が、作品の外側の大雑把な傾向性を説明することに終始していたからだと思う。ある定義があり、それにふさわしい特徴を並べて説明する。そうすれば、その定義にどれだけ説得力があるのかがすぐに理解できる。そのかわり、一つ一つの作品の独自性というか、なぜ作者はそれをそのように作り上げたのか、という内側の物語がほとんど失われてしまう。解説の後半に、その定義について話し合う座談会が収録されていて、いろいろなジャンルの作品や作家名が挙げられていたけれど、その名前を挙げるときの体温は、かなり低く、極端に言えば、ただリストを作るために話し合っているようにしか思えない。少なくとも、愛情を持ってそれらのものに接しているとはどうしても考えられないのだ。

でも実際の作品は、当然そういうリストに載せられるような整合性もお行儀のよさも持ち合わせていない。そのために作っているのではないのだから当たり前だ。作家は、それぞれの問題意識や、もっと形にならない無意識的な衝動を深く掘り下げて出てきたどろどろしたものを、それに一番適した表現を必死に見つけ出して、作品を作っているだけだ。だから一つ一つの作品を見れば、あらかじめ用意された定義など簡単にはみ出してしまう。十人強の作家の作品を観て、正直なところなぜこの作品がそれほど評価されるのかわからないというものもいくつかあった。でもそれでいいし、それが当然なのだ。僕らは(観る者)僕らで、自分自身の深い部分と常に交信しながら、作品を鑑賞しているのだから、その上であらわになった価値観が食い違うのは当たり前だ。僕らはそれぞれ別の人間なのだから。
もちろん作家は常にその、「別の人間なのだから」という部分を飛び越えようと試行錯誤しているのだと思う。その末に、どこかで通じ合う部分ができれば、それだけ感動は大きい。距離があるから、そこに生まれる力は強くなる。

僕が恐ろしいなと感じたのは、もし作家が、そういう態度を忘れて、行儀よく整列することだけに終始してしまっているとしたら、ということを想像したからだ。幸いにも、今回に関しては、そういうことはなかった。
評論自体を否定しているのではない。少ないけれど、芸術作品と同じくらいの深みと面白さを持つ評論を僕は知っているし、定義することでわかってくる部分も確かにあると思う。つまり、僕は決して作品のリストが見たいわけじゃないのだ、ということだ。
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