こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.36 好きなように  

2010.8.24

古本屋が好きだ。本を読む人で古本屋が好きな人は多いと思う。僕も同様に古本屋によく行く。とは言っても僕の場合、貴重な本を探して集めるというような趣味もないので、ごくごく一般的な、気になる本を買う。これは人によると思うのだけれど、最近どんどん増えている、チェーン店の古本屋が、僕はあまり好きではない。置いてあるものは同じように古本で、組織力を生かして結構な量の本があるし、百円とか安い値段で買えたりもするから便利なはずなのに、どうにも苦手だ。読む本を買うぞと意気込んで行って、一時間くらい棚を巡った結果、何も買わずにしょぼんとして店を出るということが僕の場合よくある。気になる本は結構あるのだ。いつか読もうと思ってた本と出会う確率も高い。それでもなんだかその本を買う気にならなかったりする。買う意欲は満々なのに、なんだか躊躇してる間に意気消沈して店を出るときの気分はそれほどいいものではない。変なストレスだけを溜めて帰ってきてしまうことになる。

なんでそんなことになるのかと原因を考えてみたのだけれど、多分、少し明るすぎて整理されすぎているのだと思う。僕の探しているのは古本で、そこで売られているのも古本なのだけれど、まるでその事実を隠そうとしているみたいに、そういうチェーン店は清潔そうで照明が煌々と照っている。そうすると、どんどん自分の気持ちが萎えていくのがわかる。ここに、僕の欲しいものはないような気がしてくる。
古本は、当たり前のことだけれど他の人が読み終わったものを売ったものだから古いし、物によっては結構汚れていたりする。で、多分僕は古いものが欲しくて古本屋に行くのだと思う。古いものと言うのはなんだか神秘的だ。その奥に、何か僕の知らない面白いものが隠れているような気がする。そういうものが雑多に詰め込まれた本棚と言うのも、とても神秘的で、宝の山のように見える。そこで見つけたものは、僕に見つけられることを待っていたんじゃないかという気がしてくる。僕らは偶然出会ったのだ。なんらかの運命に導かれて。

と、まあなんだか大げさになってきたけれど、実際読みたかった本を近所の古本屋で見つけたりするとそれくらいの興奮がある。この前も近所のあまり綺麗とは言えない古本屋のに入った途端、丸谷才一の『樹影譚』をみつけたときには興奮して声を上げそうになった。何かのエッセイで目にして読みたいと思っていたのだけれど、僕の探す限りではどこにも売ってなくて、ずっと探していた。そういうものが何気なく見つかったりするのが古本屋に行く楽しみの一つだ。
そういう神秘性を、明るすぎる照明は拭い去ってしまっている気がする。物事にはもう少し秘密があったほうがいろいろと刺激的なんじゃないかと勝手なことを思ってしまう。

まあでもこういうのは当然個人的な好みによるものなので、何がいいとか何が悪いとかはない。僕だってチェーンの古本屋で本を買うこともあるし、これだけどんどん増えているのだから、それなりの需要があるのだと思う。僕は古本と同じように古着も好きなのだけれど、他人の着た服なんて着る気がしないという友達もいるし、逆に僕は、古着屋に売っている古靴(よくわからないけれどビンテージのスニーカーとか)を買って履くのには大きな抵抗がある。全然関係ないけれど、喫茶店かなんかにいるときに、隣の席の女性二人が、年末に空いているカフェがないかという話をしていて、下北沢はどうかなという話が出たとき、でも下北はね、と、あんまりおしゃれじゃないしなあというニュアンスを込めて話し合っていたのを聞いて、びっくりしたことがある。ぼくにとっては下北は十分おしゃれだし、いい感じのカフェもあると思うのになあ、と。
まあこんな感じで、人の好みというのは様々で独特のもので、それに従って好きなように楽しめばそれでいいのだ、と思う。
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