こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.35 揺らさないで  

2010.8.14

駅の公衆トイレとか、本屋のトイレとか、どこでもいいのだけど外のトイレに入ったとき、小用のトイレに向かって用を足してますね。すると急に入り口から他のお客さんが入ってきたり、お掃除のおばさんなんかが入ってきたりすることがある。入ってきたりすることがある、なんて書いてみたけれど、これはしごく当たり前のことで、別に僕専用のトイレじゃないんだから、次々に他の人が入ってくるのは不思議でもなんでもない、というかその店なりが繁盛しているなによりの証拠で店側にとってはこれほど嬉しいことはない、かどうかはよくわからないけれど、とにかくごくごく日常的な出来事であります。

けれど、背後に人の気配を感じたとき、隣に人がいるとき、僕の膀胱は急に排出行動をやめてしまう。もうすぐ出そう、とういうときでも、遠くから足音なんかが聞こえたりすると、しゅるしゅるしゅると尿が奥のほうにひっこんでしまう。簡単に言えば、近くにいる人が気になってなかなか用を足すことができなくなってしまうのですね。だから僕の方が先に来てたのに、あとからやってきた人々に次々に追い越されていくということがわりと頻繁に起こる。別に気にするようなことじゃないんだけど、なんだか先に出て行く人が、「ふん、まだやってんのかよ」「もたもたしやがって」みたいな蔑んだ視線を送ってくるような気がしてますます我が膀胱は萎縮してしまう。で、結局何も出さずにトイレを出るなんて事まであるわけです。

こういうことって、僕の個人的な現象なのか、他の人も結構そうだよってものなのか、あんまりこんな話をしたことがないのでよくわからない。少なくとも僕のトイレ経験によれば、他の人たちはトイレに入るなり実にスムーズに用を足して、颯爽と出て行くように思える。まあ僻みかもしれないけれど。

こんな体に(ってほどたいしたことではないけれど)なってしまった原因を僕ははっきりと知っていて、それは中学時代に遡る。その年頃の男子というものはまあとにかくちょっかいを出し合う、いたずらをしあうってことで一日過ぎていくようなところがあって、僕もいろいろなことをされたりしたりした。その中で、トイレで小をしている人の背後から体を揺するといういたずらがあったのだ。男子の小用のトイレは女子と違ってオープンスペースだから、便器に向かって用を足している姿というのはもう本当に無防備なわけです。で、一緒に用を足していると思っていた友達が突然僕の背後に回りこみ体を思い切り揺さぶる。これは結構被害が甚大なところがあって、ちょっと汚くて申し訳ないんだけど、尿が飛び散るわけですね。で、ひどいときは制服にかかってもうなんとも情けないことになるわけです。そのときの気持ちといったら筆舌に尽くしがたい。それが嫌で一人ひそかにトイレに行ったりもするのだけど、敵もさるもの、どこで聞きつけたのか勢いよくドアを開けてもう気持ち良さそうに僕の体を揺さぶるわけです。というわけで、あの頃はトイレも安心してできない時代だった。

人の習慣というか記憶というのは恐ろしいものなのだけど、もうあれから十五年以上経っているというのに、そのときの警戒感というか緊張感が、いまだに僕の体の中に残っていて、それが背後に人が来ると同時に警報を鳴らすのだ。まさか大の大人が、急にわーとか叫んで僕の体を背後から嬉しそうに揺らし始めるなんてことはまずないだろうということは頭ではわかっている。でもどうしても体のほうが緊張してしまうのだ。というわけで、なんだか変な敗北感に見舞われながら、毎回用を足しているわけです。

関係ないけれど、小さい頃、大人の小用ってすごく長いなあという認識があった。まだ出るか、まだ出るかっていうくらい長々とするのが大人だと思っていて、だから自分も大人になればあれくらい長く用を足すのだなあと思っていたのだけれど、今になっても、僕はそれほど時間がかからない。まあ僕はトイレが近いほうなので、あんまり溜まってないだけかもしれないけれど、なんとなく、長ったらしいのを堂々としてみたいなあと思ったりもする今日この頃なのです。
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