こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.34 アマデウス  

2010.8.4

高校の時の音楽の教師は、現役のオペラ歌手だった。髭面で恰幅のいい四十台半ばくらいの男の教師で、なんだかテレビとかで見るオペラ歌手そのものという感じだった。プロだからコンサートに出ることもあるらしく、テレビで放映されたコンサートの模様をビデオで録画して、音楽の時間に見せられたりもした。その当時、ネスカフェのCMにオペラ歌手の錦織さんが出てて彼の名前がなんとなくオペラ歌手の代表みたいな感じでメジャーになっていた時期で、その音楽の教師は、錦織なんて全然ひよっこだよ、というようなことを、深いいい声で言ったりしていた。まあそんな感じで、あくまで本業は歌手業だという意識があったのか、授業はわりとゆるいところがあった。それでも歌の授業になるとやっぱり血が騒ぐのか、高校生相手に熱心にオペラ風の太い発声方法を教え込んだりしていた。一度歌のテストのときに、一人ひとり彼のピアノ伴奏で「椰子の実」を歌うという課題だったと思うのだけれど、高音に差し掛かるところで苦しそうにしている僕に、「君ならできる!」という唐突な声援を送ってくれたことだけを、なぜかとてもはっきりと覚えている。

そんな感じだったので、コンサートが近くてそっちのほうに頭が傾いていたのかもしれないけれど、何時間か連続で、『アマデウス』という映画を観るという授業があった。有名な映画だから知っている人は知っていると思うけれど、『アマデウス』はモーツアルトの生涯をサリエリという作曲家の視線で追った映画だ。だからまあ音楽に関することではありまったく関係ないことはないのだけれど、教師としてはただビデオを流してればいいわけだから、手抜きといえば言えるかもしれない。でもまあ生徒の僕らとしても、できもしないオペラ的発声を練習させられるよりはだいぶらくちんだった。

『アマデウス』は乱暴に要約してしまえば、天才モーツアルトに対する、凡人サリエリの嫉妬と愛憎の物語だ。映画の中でモーツアルトの曲は彼が死んでからも誰もが知っているが、私(サリエリ)の曲は誰も知るものがいない、というような台詞があって、確かに僕はサリエリの曲どころか、彼が実在の作曲家なのかさえ知らない。そういう残酷な物語だ。高校生のとき、僕はサリエリの嫉妬に駆られた様々な行為に同情もできず、かといってわがまま放題の天真爛漫なモーツアルトも好きになれず、もやもやした気持ちで観ていた。けれど最近見直してみると、サリエリにも、モーツアルトにも感情移入しながら三時間という長丁場を休憩もせずに観ることができた。関係ないけれど、この映画には女の人が思い切り半裸になるシーンがあって、こんなのよく授業で流したなと思ったけれど、もしかするとそこはちゃんとカットして見せなかったのかもしれない。

一番印象的なシーンは、やっぱりモーツアルトが死ぬ間際、サリエリと二人でレクイエムを作曲するシーンだ。サリエリは美しい音楽を生み出す能力はないのに、モーツアルトが優れているということを理解する能力だけは与えた神を呪うのだけれど、それでもあのとき、息も絶え絶えながら次々と素晴らしいフレーズをモーツアルトに口伝で伝えられるときのサリエリは、はっきりと幸福を感じていたと思う。美しいものが生まれる瞬間に立ち会っていることの興奮。その時間を過ごしている間の鳥肌が立つような無我夢中な感動が、ひしひしと伝わってきて素晴らしいシーンだなと思った。

他のことはあんまり覚えていないけれど、『アマデウス』のことだけはずっと覚えていてまた見直したいなとずっと思っていて、今回やっと観ることができ、しかもいろいろ感じることができたのだから、これはあのオペラ歌手の音楽教師に感謝しなければならない。まあいまだにオペラは一度も観たことないけれど。
目次へ
あさかめHP

***** Copyright c 2009 Yohei Kodama. All rights reserved. *****