こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.32 ささやかな会話  

2010.6.24

エスカレーターを降りて地下鉄のホームに降り立ったときには、僕が乗るべき電車はちょうど出発したところだった。電光掲示板を見るまでもなく、五分かそこらは次の電車が来ないということを知っていた僕は、ホームを端っこの方まで歩いてベンチを探した。好都合なことに、ベンチは一人分だけぽっかり空いていた。両端には老婦人と、就活中かあるいは新入社員というような、つまりはまったく似合っていない黒いスーツを着て髪を後ろで一つに束ねた若い女の子が座っていた。僕は2人のあいだに腰を下ろした。別に急ぎの用事でもないし、電車が来ればロボットのようにそれに乗るだけ。僕はぼんやりとしていた。特にこれといったことも考えていなかった。

「パンダはいるのかしらねえ」
その言葉に僕はゆっくりと右側を振り返った。そちらに座っていたのは老婦人の方だった。よく見ると彼女は適度な化粧をして、それほど華美ではないが仕立ての良さそうな服を着こなしていて、上品という言葉を絵に描いたような外見をしていた。その駅は老舗の百貨店の最寄駅だったから、もしかしたらそこで買い物をした帰りだったのかもしれない。足元に買い物袋を置いていたかどうかは残念ながら見損ねてしまった。
「え?」
僕は老婦人の方に少し体を傾けて聞きなおした。相変わらず僕はぼんやりしていた。ぼんやりしながらも、地下鉄の駅で急に出てきたパンダという言葉のシュールさを気にかけていた。
「動物園に、パンダはいるのかしらねえ」
老婦人は強くない視線を前のほうに向けながら繰り返した。僕は老婦人の視線の方に目をやった。あっけないくらいすぐに合点がいった。ホームの向かい側、駅名の表示板なんかが設置されている壁に、上野動物園の広告があった。そこにはいくつかの動物の写真があって、そのなかに座り込んで笹を食べるパンダの写真もあった。
「ああ。そうですねえ、いたような、いなかったような・・・」
僕は曖昧な返事をした。とてもとてもうろ覚えながら、最近上野動物園の最後のパンダが死んで、上野動物園にパンダを呼ぼうというキャンペーンが張られているという話を聞いたことがあるような気がしたのだけれど、あくまでうろ覚えだから、はっきりしたことが言えなかったのだ。
「ああやって見せられると、見に行きたくなるのよねえ」
老婦人は僕の返答は期待していなかったのか、相変わらず穏やかな声で言った。そうですねえ、と僕もぼんやりと答えた。
「猿山って、見ていて飽きないですよねえ」
老婦人は続けた。広告には木に登った猿の写真もあった。僕は考えながら答えた。
「そうですねえ。人みたいで」
すると老婦人は、我が意を得たりとばかりに勢いづいて、
「そうそう!」
と言った。それから僕と老婦人の間には沈黙が降りた。ベンチに座ったとき、僕はウォークマンを聴こうと思っていたのだけど、老婦人がまた話しかけてくるかもしれないと思ってやめた。僕は隣の気配を少しだけ気にしながら、ぼんやりと上野動物園の広告を眺めた。老婦人も何も言わず、身動きもしなかった。

大きな音がして、反対側のホームに電車が入ってきた。その音に混じって、僕に話しかける声が聞こえた。そちらを向くと、老婦人が僕に向かって何か言いながらお辞儀をしていた。とても丁寧なお辞儀だった。何を言っているかは電車の音にかき消されてわからなかった。僕もお辞儀を返した。老婦人が乗った電車はすぐにホームを出て行った。

僕は、たまにこういうことに遭遇する。別にたいしたことのない事件ともいえないような事柄だ。でも一つだけ言えるのは、僕は結構こういうコミュニケーションを楽しんでいるということだ。この出会いは本当に一瞬で、偶然に起きる。それで僕と相手との人間性が深く交わるということもないし、劇的な効果をお互いに及ぼすなんてこともない。でもこんなありふれた、ごくごく気楽な会話は、僕に小さな幸せを運んでくれる。とてもとても大げさに言えば、こんなささやかな会話が、僕に人を信じるきっかけを与えてくれる。なぜかはわからない。でもとにかくそうなのだ。
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