こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.31 車椅子と東京タワー  

2010.4.23

よく通る道のそばに小さな公園がある。まあ公園てほど大きくもないし、遊具もそんなにない。リスかなんかの動物の形をした乗り物と、小さな砂場があるくらい、仮設のトイレがあったり喫煙スペースがあったりするから、どちらかといえばサラリーマンとか現場作業員みたいな人たちが一服する姿を見るのがほとんどで、子供の姿なんて滅多に見ない。それは僕がそこを通るのが朝と夕方に限られてると言うこともあるのだと思うけど、とにかく僕はその公園のそばを結構よく通る。

その公園の片隅に、何ヶ月か前から車椅子が置かれるようになった。もちろんその車椅子には座っている人がいて、それはおそらくホームレスの、ボロボロの服を着たおばあさんだ。つまりその車椅子はそのおばあさんの住処なわけで、おそらく所持品のすべてが入っているのだろう紙袋が車椅子の周りに置かれている。その公園には屋根や藤棚のようなものはない。そんなものがあるほど大きな公園じゃないのだ。だから雨の日はどうするんだろうと思っていると、透明なビニール傘を差すというか頭の上に乗っけるような形で雨を凌いでいる。

僕はそこを通るたびなんだか気になっていつも横目でちらりと見てそばを通り過ぎた。ちらりと横目なのはあんまりじろじろ見るのは失礼かもしれないと思ったからだ。なぜ気になるかというと、車椅子を住処にしているホームレスのおばあさんというのをあまり見たことがなかったと言うのが一つある。実際にどこかに障害を持っているのかもしれないけれど、なんとなく、そうではなくて、純粋に住処として車椅子を使っているんじゃないかと僕は思っていた。自分の足で歩いていたのを見たからではなく、なんだか車椅子とそのおばあさんというのが、きっちりはまっていたというか、変な話だけど、その車椅子の上で暮らしているという、生活感のようなものが感じられたからだ。でもまあおばあさんは結構年をとっているみたいだし、物理的に車椅子で移動するしかないという感じもあるにはあった。実際に動いたところは見てなくても、時間が経ってそこを通ると移動していたと言うこともあったから、それは多分車椅子に乗ったままで移動したんだろうなと想像することはできた。

気になっていたもう一つはその、乗っている姿によるものなんだけど、なんだか車椅子とおばあさんが一つになっているような、一体感を感じていて、それがなんだか独特の雰囲気を醸し出していたからだ。それは多分そこで生活しているからこそだと思うんだけど、僕は一度地下鉄銀座線に乗ったときに、同じような気持ちになったことがある。僕の座っている斜め前にやっぱりホームレスのおじさんが座っていた。その人の足を見たときに僕はびっくりしてしまった。その人は裸足だったんだけど、その足がラグビーボールくらいにぱんぱんに膨れ上がっていたのだ。正直に言って、それはとても人の足には見えなかった。もちろんそうなるまでには多くの苦痛を感じてきたのだと思う。そのとき僕が感じたのは、そういうさまざまなことが積み重なった結果、人間の体と言うのはそういうふうな独特な変化を遂げることもあるのだという驚きだった。
車椅子に暮らすおばあさんを見たときも、それと同じような感覚を持った。車椅子の中に小さくなっているおばあさんの体は、まるで車椅子と同化してしまって別のものに見えた。そうなるにはその人個人の人生の道筋だから、それについてああだこうだいうつもりもないし、それはどちらかと言えば無責任なことだと思う。ただ僕は純粋に、人の体と言うのはそういうふうにもなるのだなと感心してしまったのだ。まあこういう感慨もまた、おばあさんにとっては余計なお世話だと思うのだけれど。

ある寒い朝、僕はその公園のそばを通った。なぜかその日は修学旅行に来た中学生みたいな人たちがたくさんいた。僕がそこを通ったときにも五人くらいのグループが行き先を相談しているのか頭を集めて話をしている。そのうちの一人の女の子が、公園の片隅のおばあさんに気がついた。その日は本当に寒かったから、おばあさんは車椅子の中に低く丸まって、ビニール傘をかぶってじっとして動かなかった。女の子は、多分はじめはそれが人だとは気づかなかったのだと思う。無理もない。で、それが人が車椅子の中に丸まっているのだということに気がついた彼女は、ものすごい驚愕の表情をそのあどけない顔に浮かべ、それから皆が横断歩道を渡り始めても、顔をこちらに向けてどうしても目が離せない様子だった。僕は、ああ純粋な子なんだな、と思った。だって道行く誰も、公園の片隅の車椅子にあんな目を向けることなんてないのだ。そして同時に、彼女の心に、東京タワーや六本木ヒルズなんかじゃなくて、今日見たこの公園の風景が残ったとしたら、ちょっと面白いことだなと思ったのだ。
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