こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.30 怠け者の言い訳  

2010.4.13

時間は本当に知らないうちに経ってしまうものです。知らないうちに、というのは実は嘘で、一日一日着実に過ぎていっているなあとはうすうす思っていたわけです。その流れをストップさせなかったのはもうどう考えても自分の怠慢のおかげで、そんなわけで前回から一月も過ぎてしまいました。

その間何もしてなかったのかといえばもちろんそんなことはなく、地味なりにそれ相応のことはやっておりました。台本を仕上げ(完成まで三ヶ月近くもかかった)、稽古も始まり、その合間に何冊か本を読み、そのうちの何冊かに深い感銘を受けたりしてました。それならそれでそのうちの何かを文章にすればいいものを、何て言うんでしょうかね、あまりについついと時間は流れ、これっぽちの波もたたないものだから、どこをすくいあげればいいのかわからなくなっていたという感じでしょうか。まあどう聞いても屁理屈ですね。小さい頃からよく屁理屈ばかりこねてと怒られたもんです。

そんな僕にとって、尊敬を通り過ぎて神様みたいな人の本が出ました。鏡明『二十世紀から出てきたところだけれども、なんだか似たような気分』という素敵なタイトルのこの本は、僕の大好きな鏡明さんが三十年ものあいだ『本の雑誌』に連載してきたエッセイをいくつかチョイスして作った本です。いくつか、と言っても二段組で400ページ以上あるので毎日少しずつ読んだってなかなか終わらない。どこを読んだって楽しめる本がすぐそばにある毎日というのは、ちょっと考えられないくらい幸せなことです。

僕がこの人の文章を読み始めたのは『本の雑誌』を買い始めた頃だから15年ほど前。それでも半分しか読んでないわけですが、実は読み始めた当初、僕はこのエッセイが好きではなかった。鏡さんはSF関係の人なので、SFになんてこれっぽちも興味のない僕には、書いてる内容がまったくわからないし、文章もなんだか読点が多くてもったりしている。なんだこれ、と思ってたわけです。でもある日、どういうきっかけか忘れたけれど、何年分か溜まった『本の雑誌』をパラパラとめくっていたとき、鏡さんの文章もちょっと読んだわけです。そしたらこれがひしひしと面白い。結局そのとき僕はあるだけのエッセイをすべて読み通してしまったのでした。

鏡さんの文章の面白さは、とにかく知識が広いこと。広告代理店でCMディレクターをしている鏡さんはしょっちゅう海外に行くので、旅の話や音楽の話など話題が豊富です。しかもそれを、まるで雑談をしているみたいにゆるやかに書くのです。そこに出てくる固有名詞の9割を僕は知りません。でも、鏡さんの話(そう、文章と言うより、話に近いのです)を聞いていると、なんだかそれを聞いたり読んだりしたいと思ってしまう。それは多分、鏡さんが大切に思っていることが普遍的なもので、それが僕の心にも触れてくるからだと思います。その大切に思っていることを言葉にしようと思ったんですが、うーん、なかなか難しい。一つだけ鏡さん自身の言葉を借りれば、「アイデアがいかに生まれるか、ということは、いまだに私の関心の中心にある」ということ。その姿勢の真摯さが、僕を強く引き付けます。

個人的に、僕は鏡さんの追悼文が好きです。時々、鏡さんの知人が亡くなります。それはSF作家であったり、CMディレクターだったりします。鏡さんはそのたびに彼らを悼む文章を書きます。長く書く場合も短い場合もありますが、どちらの場合も、僕は大好きです。心から、言葉を尽くして、時にはその結果言葉が見つからないときもありながら、鏡さんが死者を悼んでいるということがひしひしと伝わってくるとてもいい文章です。この本にそれらが入っているかわかりませんが。

そんな文章を、三十年も書き続けてきたということには、心の底から尊敬の念が湧き上がってくるのですが、この本を読んでいると、どうやら鏡さんも原稿を落としたことがあるらしい。それによく考えてみれば、鏡さんにはもう何年も近刊予告に出しておきながら完成することのできない『アメリカの夢の機械』という本があるわけですから、その鏡さんの文章が好きな僕が、たまにこの文章を書くことを怠けてしまうことがあっても、仕方のないことなのかもしれません。はい。言い訳ですね。
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