こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.25 見たあとで飛べ  

2010.1.18

二月くらい前に書いた沖縄に行ったときの話の続き。東京から那覇、石垣と飛行機を乗り継ぎ、高速船に乗って西表島に行った。のんびりと海をわたる水牛に乗ってその日はリゾートホテルっぽいところに宿泊。そこは日本最南端の温泉があるところで、温泉好きの僕はいそいそと入る。なぜかプールが併設してあって人生初の水着着用で温泉に入った。少しぬるかったけどなかなか気持ちがよかった。

次の日は自然塾というところにお世話になった。ガイドさんがついて西表の観光地に案内してくれるのだ。観光地とはいっても遺跡とか寺とかじゃなく自然の中に入っていく。午前中はまず山の中へ。名前は忘れちゃったけど綺麗な滝のある場所へカヌーに乗っていく。途中、板状の根が地上をうねうねと生えている大きな木があってその形状の奇妙さに驚く。自然のものというのは本当に面白い発達の仕方をするなあと感心する。滝に着くまでがなかなか大変で、それというのもカヌーがうまいこと前に進まない。ガイドさんと一緒に参加していた60歳代の老夫婦がすいすい進んでいくのを恨めしく見ながら必死でついていく。滝は水が綺麗で気持ちよかった。滝つぼで泳げるのだけど、泳げない僕はライフジャケットをつけてぷかぷか浮いていた。それでも結構楽しめるのだ。

午後は小さな船に乗って海へ。バラスという、サンゴの死骸でできた島へ行く。もうどんどん沖のほうへ進んでいくものだから、僕が落ちてもガイドさんたちが助けてくれなかったら確実に死ぬなとロープをつかむ手に力が入った。バラスに着いたとき、その美しさに息をのむ。真っ白な浮き島のまわりに青いというよりも緑に近い透明な海が広がっている。船を下りると早速シュノーケリング開始。僕も勇んで海の中へ。なんて透明!魚が、サンゴが、もう見える見える。ガイドさんたちはどんどん沖へ出て行く。でも僕は進めない。水が透明で隅々までよく見える。そのため海の深さがもうはっきりくっきりとわかるのだ。ライフジャケットは着てるし、いざとなったらガイドさんも助けてくれるだろう。頭ではわかってる。でもどうしてもそちらへ行けない。何度か試みてみたけれど、ゆっくりと進んでいるうちに、心拍数が上がっていく。頭の中が真っ白になって混乱していくのがわかる。これは危ない。すぐにバラスの岸に戻る。その繰り返し。

あんなふうにはっきりと、死ぬかもしれない恐怖を感じたのは子供のとき以来かもしれない。僕は高いところは全然平気なんだけど、高いところが駄目な人の心境に似ているのではないかと思った。自分の能力でカバーできない危険。沖縄でいろいろなところに行っていろいろなことを感じたけれど、あれほどビビッドな感覚を感じたのはあのときが一番だった。

でもあとで思った。多分、壁を越すとしたらあの瞬間だったよな、と。深い水底。泳げない自分。でもあそこでへたくそなバタ足でもがくように進んでいたら、泳げるようになっていたかもしれない。その先に待っているのは今まで知らなかった世界の風景だ。そのときは文字通り美しいサンゴの景色が広がっていたのだろう。それを知ることができるかどうかの境目がそこだったのだ。まあそんなに無鉄砲になる必要はない気もする。人は危険を察知するの力が衰えてきているという話を聞いたことがある。地震が起きても、逃げることもしなくなってしまっている。そういうことを考えれば、あれほど当然のように死ぬだろうなと感じられたのは正常なのかもしれない。でもそれでも、あのとき先に進めたら、と思ってしまうのだ。なんだかそれは沖縄の海だけの話ではなくて、日常の話に繋がるような気もする。目の前にあるのは危険かもしれない深淵で、僕の目にはそれがはっきりと見えている。その先は未知の世界だ。そのときに飛べるのか、飛べないのか。大げさか。でもそんなふうに考えたのだ。

とにかく、今度沖縄でこの透明な海に来たとき、もう少し先にあるサンゴの森を見てみようと思った。

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