こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと



vol.23 法則と追悼   

2009.12.29

一人芝居の公演が終わり、ワークショップが終わり、ようやく一息つけるようになった。11月の頭からだんだんと忙しくなり、それがいままで続いてきてなかなか緊張を緩めることができなくて、おかげで年も暮れていこうとしているのにそんな実感があまりわかず、クリスマスだって僕の頭の上を飛び越えて過ぎていってしまった。でもそれもようやく一段落ついて年末に向けて落ち着くことができるようになった。まあ大掃除をしたり、まだまだばたばたすることはあるだろうけれど。

そんな中で、あるショッキングなニュースを聞いた。僕が慌しくしているうちにそのニュースはいろいろなところに広がったみたいだから、多分知っている人もいると思う。

フジファブリックというロックバンドがあった。僕が彼らの音楽を聴き始めたのはそれほど前のことではない。多分ここ三、四年のことだろう。僕より年は若くて、ボーカル、ギター、ベース、キーボードで構成された四人組のバンドだ。音楽について言葉で説明するのはとても難しいけれど、彼らの音楽を説明する場合もやはり同じだ。多少ひねくれたメロディに、それほど美しくもなけれど何か心に残る声のボーカルが乗った、独特の楽曲ばかりだった。こうやって書くとけなしているみたいだけど、僕は彼らの音楽が好きだった。それどころか、いくつかの曲は僕の心を強く打った。その中に、『赤黄色の金木犀』という曲がある。メランコリックなギターと、ドラマチックなドラムとキーボードが印象的な、ミディアムナンバーだ。この曲は本当に名曲だと僕は思う。この曲を聴いていると時々、胸をかきむしられて涙が出そうになることもあった。秋になり金木犀の不思議な香りを嗅ぐと、僕はいつもこの曲を思い出した。

最近の彼らは少し変化しようとしていたように思う。何年か前に出た『TEENAGER』というアルバムには、これまでとは違った風通しのいいポップソングがたくさん詰め込まれていた。僕はその変化を喜んだ。彼らはこれからたくさんのポップな名曲を生み出してくれるかもしれない。そう思った。一番最近に出たアルバムを僕はまだ手に入れていないけれど、きっとまた違う変化を見せてくれているに違いないと信じていた。

24日のクリスマスイブの日、フジファブリックのボーカル兼ギターで、ほとんどの楽曲を作詞作曲していた志村正彦さんが亡くなった。公表されている情報はほとんどなくて、死因は不祥だということだ。僕は彼のブログをたまにのぞいていたから、彼がライブやレコーディングで忙しくしていたし、そこに死の影など微塵も落ちてなかったことも知っていた。それでも彼は死んだ。彼は、自分には趣味なんてない、いい曲ができれば一日気分がいいし、いい曲ができなければ一日ふさぎこんでしまうというようなことも書いていた。僕はそれを読んでちょっとした共感と、ほんの少しの息苦しさを感じた。才能のある人間が、自分自身を削るようにして日々を生きている様を思った。

僕は今、彼の住んでいた部屋を頭の中に思い浮かべる。がらんとした誰もいない部屋。所狭しと並べられたレコーディング機材。床を這い回る何本ものコード。彼がよくかぶっていた、少し奇抜な帽子。その中に彼の姿だけがない。

その光景はそのまま僕の心境でもある。僕は大切なものを失ってしまった。そしてそれを埋めるものは誰もいない。僕は心から彼の死を悼む。ご冥福を祈る。

今回で今年の更新は終わりだ。一年の最後に少し暗くなってしまったけれど、それも仕方のないことだ。年が暮れるからといって全ての人が明るく振舞う必要はない。全ての人が幸せだとは限らないし、全ての人が生きて次の年を迎えられるわけではない。多分それが時間の流れの厳然とした法則なのだと思う。彼は死んでしまったけれど、僕は生きる。とりあえず来年も、自分ができることを必死でやりながら。それが生きることの法則なのだ。最後に、この文章をとりあえず今年中続けることができて本当によかったと思っている。何かを続けるということは簡単なように見えてなかなか難しい。だからこれからもその幸運をかみしめて、地道に続けていこうと思う。来年以降も、このとても小さな独り言のような文章を読んでもらえるとうれしいです。それでは。よいお年を。来年もよろしく。
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