こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと。



vol.22 夏か秋の名残  

2009.11.28

12月の一人芝居の稽古が始まっている。台本はなんとか稽古前にあがった。一人芝居というのは初めてで、どういう感じになるのかちょっとわからなかったけれど、結構集中してできるので楽しい。稽古日記も始まっているので、詳しくはそちらをどうぞ。

全然関係ない話なんだけど、二ヶ月くらい前に沖縄に行ってきた。僕は九州の出身で、でも沖縄に行くのは初めてだった。とはいっても九州と沖縄は結構離れているから、東京から行っても感覚としてはあまり変わらないかもしれない。僕がいたのは那覇とか本島のほうではなく、もっと南の石垣島とか西表島とかのほうだった。那覇まで飛行機で行ってそれからまた石垣島に飛んで、そこからは高速船での移動だった。移動だけで結構な時間がかかるなあと感心してしまったのだけど、この高速船というのが大変で、波照間島にも行ったんだけどそのときがものすごく波が高い上に時間が長く、完全に船酔いしてしまった。島に上陸したときにはもうフラフラで、民宿のソファに座って動けないということになってしまった。

で、まあ海に行ったり山に行ったりいろいろしたんだけど、その間沖縄はずっと曇っていた。雨が降ることもたびたびで、最後にようやく晴れたけどつねに曇天だった。それでも暑くて僕はずっとTシャツに短パンにビーチサンダルという格好だったんだけど、日差しがなかったから僕は日焼け止めを一切塗らなかった。あとから考えれば狂気の沙汰なんだけど、そのときは僕は無邪気で沖縄の紫外線がどんなものか知らなかったのだ。だから二日目の夜、民宿のベッドで自分の太ももや足が赤く腫れてヒリヒリしていることに気がついたときは心の底から衝撃を受けた。その日は太陽なんて一切出てなかったのだ。にもかかわらず、僕の体はしっかりと日焼けしている。しかも人生で最大級の、もうほとんどやけどに近いくらいひどい日焼けを。真っ赤に染まった自分の足を見ながら、なめたらいかんなと僕は思った。

でも沖縄の日差しのすごさを本当に知ったのはもっとあとのことで、つまり現在だ。いいですか、沖縄に行ったのはもう二ヶ月も前のことで、今は冬の入り口です。にもかかわらず僕の腕と足にはくっきりと日焼けの跡が残っている。半袖と短パンから出ていた部分は黒くなってそうじゃない部分とはっきり区別ができる。ひどいのは足で、ビーチサンダルの鼻緒の部分のあとがくっきり残っていて足の甲に逆三角形を描いている。僕はお風呂に入って自分の足に残った三角形の刻印を見るたびに、沖縄に行ったときのことを思い出すのだ。

何を思い出すのかといえば、具体的な思い出ではなく、沖縄に数日いて抱いた、なんというか感慨のようなものだ。それは、自分は沖縄では暮らせないなあという感慨だ。僕が行ったところは一面畑で人に会うことも滅多にないようないわゆる田舎のほうの島だった。コンビニなんてもちろんないし、夜になれば街灯もほとんどなくて真っ暗だ。僕は毎日海に行ったりその辺を散歩したりしてぼんやり過ごした。それはとても楽しい時間だった。のんびりしていたし、海や畑を吹きすぎる風はとても気持ちがよかった。でも多分、僕はここに住むことはできない。僕には、この場所は少し広大すぎる。そんなふうに思った。

もちろんちょっと旅行に来るのとそこで暮らすのとは大きな違いがある。旅行に来て沖縄を気に入ったからって同じような気持ちで暮らすことができるとは限らないだろうし、逆にのびのびと生活を営むことができる場合もあるだろう。結局どこに住むのが一番いいのかというのは、その人によって違うのだ。僕はきっと、もう少し人や物の多い場所に住むほうがあっているのだろうと思う。例えば東京のような。実際そのような生活を僕は結構楽しんでいる。

ただちょっとした感慨を覚えるのだ。自分は、ずいぶん離れてしまったなあと。自然がすぐそばに広がり、人よりも土や花が多いような場所から。宮崎駿が昔、人は土から離れては暮らしていけないと言った。その言葉の真実味も、僕はなんとなく察することができる。こういう都会的な暮らしが、人類や地球を滅ぼす方向へ進ませているのではないかという予感も確実にある。最終的な結果なんてわからない。人は時間の導きに抗うことはできないのだ。

お風呂で三角形の日焼けの跡を見るたびに、僕はそういうことを思い出す。自分と、それを取り巻く大きなものとのつながりについて考えたことを。
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