こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと。



vol.2 世界を広げる

2009.3.11

昨年の年末だから、もう三ヶ月近く経っているんだけど、個人的に衝撃的なニュースが届いた。『本の雑誌』が、経営難で発行できなくなるかもしれないというのだ。『本の雑誌』というのは、作家の椎名誠と、書評家の北上次郎(目黒浩二)が作った、その名の通り本に関するあれこれがのった雑誌だ。今は作家として活躍している馳星周がデビュー前に書評を書いていたり、最近話題の本屋大賞を運営しているのもこの『本の雑誌』の編集部の人たちだ。もう30年くらい続いてるんだけど、僕が買い始めたのが高校生の頃だから、15年くらいになるか。以来毎月欠かさず買ってきたこの雑誌が、もう読めなくなるかもしれないというのだ。

正直なことを言うと、僕は、最近の『本の雑誌』の良い読者ではなかった。もっと率直に言えば、あまり面白くなくなってしまったと考えていた。断っておくけれど、これは純粋に個人的な意見だ。今の『本の雑誌』が好きな人も大勢いるだろうし、僕が面白くなくなったと感じたのは、単に好みの問題に過ぎない。ただ個人的に、僕が読みたいと思う記事は少なくなってしまったように思う。昔から続いているいくつかのエッセイと、小さな単発のコラムを少し読むくらいで、最近の僕はすぐに『本の雑誌』を本棚にしまうようになってしまった。

どうしてそうなってしまったのか僕にはわからない。『本の雑誌』の目指すベクトルが、少しずつ変わっていってしまったのかもしれないし、僕の好みが変わったのかもしれない。多分両方だろう。そういうことはよくある。昔親密だった友人同士が、それぞれの世界に歩みを進めていくように、僕と『本の雑誌』は少しずつ離れていってしまったのだ。

にもかかわらず、なぜ僕は『本の雑誌』を買うことをやめず、なくなるかもしれないというニュースにこんなにショックを受けるのか。好きな文章が少しとは言えあるということはもちろんそうだろう。でももっと重要なのは、「場所」ということなんじゃないかと僕は思う。

僕が思うに、この世界は個性的な人なり事物なりがモザイクのように組み合わさってその広さを維持している。ある個人やある事物の存在自体が世界を形成し、世界を広げているのだ。だから新たに個性的な事物が現れれば世界はそのぶん広くなるし、逆にそれが消滅すれば世界はそのぶん狭くなる。例えば、数年前ナンシー関が急死したときも、小島信夫が死んだときも同じように、ああ、世界が1人分狭くなったなと僕は感じた。その人が作り出した「場所」は誰にも回復できない。なぜならまったく同じ場所を回復しようとしてもそれは真似になるだけだし、そうすれば、新しい「場所」に必要不可欠な、個性を失ってしまうからだ。もちろん世界は狭いより広い方が、単一より多様な方が面白いわけで、失われた場所のかわりに新たな場所を、僕らは必死に広げていかなければならない。それは簡単なことではない。どれだけ努力しても、失敗することがほとんどだろう。だからこそ一度広げられた「場所」は貴重なのだ。

『本の雑誌』はまぎれもなくそういう意味での「場所」であり、その存在によって確実に世界を広げていた。『本の雑誌』の場所は、『本の雑誌』だからこそ作れたもので、他の何者にも埋めることはできない。だから僕は『本の雑誌』を買い続けてきたのだと思う。『本の雑誌』が作った「場所」を味わうために。『本の雑誌』がなくなるということは、その広げた場所が失われ、世界が一つ分狭くなるということだ。このニュースを聞いたとき、僕はそのことを思って愕然とした。そんなことなど想像もしていなかったのだ。『本の雑誌』はずっと、僕が買うのをやめてしまったとしてもずっと、存在し、『本の雑誌』の場所を維持し続けるものだと信じていたのだ。

僕にできることはこれまで通り、毎月買い続けることだけだけど、『本の雑誌』がこの先も続いていくことを、僕は心の底から願う。そして数少ないこの文章を読んでくれた人が、『本の雑誌』を手にとって、世界の広がりを少しでも感じてくれたらいいと思う。
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