こだまのうんぬんかんぬん


あさかめの作家・演出家、児玉洋平の日常と考えたこと。



vol.10 果てしなきトイレへの旅 

2009.7.2

小さい頃から僕は胃腸が弱かった。中学生のとき、給食を食べて五時間目の授業を受けていると必ずお腹が痛くなり、手を上げてトイレに行った。先生はまたかという顔をして呆れながらも行かせてくれたけれど、今考えればあれは精神的なものだったと思う。一度授業中にお腹が痛くなり、それ以来同じ時間になるとなんとなくお腹が痛い感じがしてきて、そのプレッシャーにより下痢になってたんだと思う。さすがに今はその呪縛からも解放されたけれど、胃腸の弱さは変わらない。便秘になんて生まれてこのかたなったことはないし、ヨーグルトなんて食べようものなら腹の中のものは綺麗さっぱり外に出る。困るのは芝居の本番直前で、それなりに緊張するのでその圧力がすべて胃腸に行く。一度トイレに行くが、本番中はトイレに行くのは容易ではないというプレッシャーが胃腸を襲う。結果、忙しい本番前に繰り返しトイレに行き出るものは微塵もないという状態にすることになる。

この前も昼ご飯を食べたあとにぶらぶら散歩していたら、急にトイレに行きたくなってきた。そこはいつも歩いているところだから地理に詳しく、どこにトイレがあるのか把握していた。胃腸が弱いと、外に出るときにもっとも重要なことはどこにトイレがあるかということだ。僕はコンビニと駅のトイレがあまり好きではないので、大体本屋のある位置を把握するようにしている。でも小さな町の本屋にはトイレがないことがほとんどなのでそういう場合はコンビニで我慢する。

このときは少し歩いたところに図書館があったのだけど、そこまで行くには事態が逼迫していたので、次の策として神社のそばの公衆トイレに入ることにした。そこはあまり綺麗なトイレではないのだけれどそんなことを言っている場合ではない。いつ考えても不思議なのだけれど、トイレに行きたいからといって早足になると、肛門が緩むというか、事態が倍速で逼迫してくる。はやる気持ちが胃腸に圧力をかけるのだろうか。だから僕はことさらにゆっくりと公衆トイレに入った。

そこはこういうトイレには珍しく洋式で、人によっては嫌がる人もいるだろうけど僕はあまり気にならないので入ってドアを閉める。で、無事用を足した。さて、とまわりをみまわしたときに全身に衝撃が走った。どこにも紙がないのだ。信じられないミスだった。いつもなら僕は外のトイレに入るときは必ず紙があるかどうか確認していた。けれどこのときは事態が逼迫していた上に、耳につけていたウォークマンを片付けることに躍起になっていてそこまで頭が回らなかったのだ。僕はうめき声を上げて考え込んだ。よくみるとそこには紙どころか紙を設置するべき場所さえない。ということは個室を出たところにティッシュペーパーがないかもしれない。それを確認したいのだけれど、僕が入るまでは無人だったトイレになぜか今はひっきりなしに人が入ってくる音がする。僕の決断は早かった。どちらにせよズボンをさげたまま個室を出るわけにいかないのなら、とりあえず履いて、別のトイレで拭こう。僕は肛門を引き締めてズボンをはいた。道を歩くとき、尻とパンツを密着させないように歩くのがとても難しかった。

こんな感じで、胃腸が弱いゆえに緊急事態に陥るということを、僕はこれまで何度も経験してきた。あのときもっと冷静ならば、僕は公衆トイレを回避し、図書館に向かっただろう。そうすればこのような災難を招くこともなかったのだ。けれど状況がそれを許さなかった。だから僕は、トイレ的状況に限らず、どんなときでも冷静でいられる、というのはとても大切なことだと思っている。そしてそれはとても難しいことだ。修行は僕が生きている限り続くのだろう。それにしてもトイレットペーパーが備え付けられないトイレというのは何か矛盾を含んではいないだろうか。これほど中途半端な存在はなかなか他に見当たらない。自分でティッシュを持ち歩く。うんまあそうだね。でもなあ。すべてのトイレにトイレットペーパーを。
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